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  • 堂本かおる
    堂本かおる
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    菊田 均
    菊田 均
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    松本 健一
    松本 健一
    評論家
    中岡 弘
    中岡 弘
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    大島 直行
    大島 直行
    伊達市噴火湾文化研究所長
    時広 真吾
    時広 真吾
    舞台演出家
    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    今日は盧溝橋事件があった日ー日本人の知らない真相

     日本は、China、韓国のためにある国ではありません。
    日本は、日本国民のためにある国です。
    世界政府や人類の平和という言葉が、いかに絵空事にすぎないかは、盧溝橋事件から通州事件、第二次上海事変に至る経緯を学んでから語ってもらいたいものだと思います。

    出所=http://www.shincyo.com/100131.htm

    出所=http://www.shincyo.com/100131.htm


     盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)というのは、昭和12(1937)年7月7日の北京の西南にある盧溝橋で起きた日本の陸軍とChina国民党軍との衝突事件です。
    今日は、この時期毎年恒例の盧溝橋事件と、China事変のお話なのですが、なぜかトップの画像は京劇です。
    その理由はあとでわかります。

     さて、最近の教科書などに、「この事件が日中戦争のきっかけとなった」などと書いているものがありますが、これは2つの点で大嘘です。

     まず第一は、日中戦争という用語の嘘です。
    日本語に「日中戦争」という用語はもともとありません。
    それはChina事変であり、大東亜戦争です。

     大東亜戦争という用語は、昭和16年12月12日に内閣決議で決議された用語で、さらに翌昭和17年2月17日には、法で定められていた「China事変」の呼称も、「大東亜戦争」に含めると閣議決定されています。
    ここでいう「China事変」は、昭和12年(1937年)9月2日の「事変呼称ニ関スル件」という閣議決定で、「今回ノ事変ハ之ヲChina事変ト称ス」と定められたことによります。
    それ以外の呼称はありません。

     ちなみに大東亜戦争について、戦後は英語の「The Pacific War」を邦訳した太平洋戦争という用語が普及しましたが、日本政府がこの名称をその後に正式採用したという事実はありません。
    そもそも、当時の大日本帝国の戦いは、何も太平洋に限ったことではなくて、China満洲から東南アジア諸国にまで広がる広大なエリアで戦いを繰り広げていました。

     ですから英国の教科書では、この戦いについて「War with Japan(対日戦争)」という用語が用いられていますし、英国の歴史学者クリストファー・ソーンは、「むしろ『極東戦争』と呼ぶべきである」と提唱しています。

     では、日中戦争という用語は、どこが使っているのかというと、中共政府です。
    中共政府は、この戦争のことを「中日戦争」と呼んでいます。
    これを日本を主語にひっくり返したのが「日中戦争」で、ですから「日中戦争」の語を用いる人は、中共政府から賄賂をもらって抱き込まれたか、その抱き込まれた人の影響下にある人たち、ということができます。
    そもそも歴史用語に「日中戦争」という用語はないのです。

     日本はChinaにおける戦いを、正式に「日華事変」と命名していますが、ここで「事変」と「戦争」の用語の違いについても明確化しておく必要があります。
    「事変」というのは、警察力で鎮(しず)めることができない規模の事件や騒動」を意味します。
    一方「戦争」は、国家が自己の目的を達成するために行う兵力によって行う国家間闘争のことを言います。

     そして日華事変の勃発の昭和12年(1937年)当時、Chinaには正式に国際社会で認められた公式な政府がありません。
    当時のChinaには、日本が支援する南京政府、米英が支援する国民党政府、ソ連がバックについた共産党政府の3つ以外にも、冀東防共自治政府をはじめ、各地に自治政府が混在していました。
    とてもじゃないですけれど、統一国家の体をなしていません。

     つまり、この時期のChinaは、国家ですらない群雄割拠の内乱状態にあったのです。
    従って国家でないのですから、国家間の武力闘争を意味する「戦争」という用語を用いている時点で、すでに歴史捏造の手口にはまっている、ということになります。

     このように申しあげると、米国内でかつて起こった南北戦争だって内戦なのに戦争と呼んでいるではないかという方がおいでになりますが、南北戦争は「アメリカ合衆国(北軍)と、南部11洲によって構成される「アメリカ共和国(南軍)」との戦争です。
    つまり、国家対国家の国際戦争であったわけです。

     日本においても、西南戦争とか戊辰戦争といった言葉がありますが、この当時は、西洋からの翻訳語がたくさん生まれた時代で、いわば流行として使われていた言葉が、西南戦争とか戊辰戦争、会津戦争、箱館戦争などといった言葉です。
    西南戦争も、ですから当時の明治政府は「鹿児島征討」「西国征討」などと呼んでいて、「西南戦争」という言い方はしていません。

     ちなみに昔の日本語では、「役」「乱」「変」が区別されていて、
    「役」は、他国との戦争(文永・弘安の役、文禄慶長の役など)、
         もしくは辺境のでの戦争(前九年の役、後三年の役など)
    「乱」は、現政権に対する反乱(壬申の乱、応仁の乱など)
    「変」は、政権に対する陰謀や襲撃(本能寺の変、桜田門外の変など)を意味していました。

     その意味では、江戸時代までは、言葉の定義がある程度明確だったのですが、幕末から明治にかけて、翻訳語が大量に生まれた結果、それまでの言い方と違うし、言葉の定義もあいまいな用語が、このときにかなり出回ることになりました。
    このため、言葉の定義がこの当時は非常に曖昧であったわけで、そのひとつの典型が、「レボリューション(Revolution)」の翻訳語となった「革命」であるというお話は、先日書かせていただきました。
    (参考→ http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3432.html

     話をもとに戻しますが、そういうわけで「日中戦争」という用語は、そのような用語を使うこと自体が、歴史に誤解を招くもとになるわけです。

     さて、その日華事変は、いちおうは昭和12年(1937年)7月7日の盧溝橋事件が発端ということになっていますが、実はそうなったのは、昭和16年の「西安事件」による蒋介石の変節を、日本側がこの当時、十分に察知していなかったことによります。

     それまで、China国民党を率いる蒋介石は、China国内で、国民党と対立するChina共産党征伐に血眼になっていました。
    当時、共産主義者征伐は、欧米社会を含む大きな社会問題になっており、またChina共産党がソ連をバックに、事実上China各地を植民地化していた西欧諸国の追い出しを目論でいたことから、蒋介石はむしろ積極的に英米のいいなりになって、共産党バージを繰り広げていたわけです。

     このためChina共産党は、勢力を激減させ、ついにわずか三千の軍団となって延安に逃げ込んでいたわけです。
    そして、ついに「共産党にトドメを刺せる」とばかり、延安の南方にある西安に乗り込んだ蒋介石を、満洲から追い出された張作霖の息子の張学良が(当時は蒋介石の味方のふりをしていた)、蒋介石を拿捕監禁し、共産党の走狗となって、日本を追い出すための戦いを約束させられてしまっていたわけです。

     ところが何も知らない日本は、ただひたすらにChinaの治安維持を願って、明治34年(1901)の北京議定書に基いて、国際協調のもとでChnaへの派兵をしていたわけです。
    ですから日本にしてみれば、まさか国民党が日本に牙をむくとは思わない。

     そこへ、北京郊外の盧溝橋付近で演習中の日本軍に向けて、いきなり発砲騒ぎが起こり、翌日には戦闘状態になったのが、盧溝橋事件です。

     あくまで治安維持が目的であって戦闘などしたくない日本は、現地ですぐに停戦協定を結んで、この事件をまるくおさめてしまいました。
    ところが、China共産党の狙いは、あくまで日本と国民党を戦わせることで、漁夫の利を得ようとするものです。

     ですからこの事件が現地で解決してしまうと、彼らは次々と日本に対する挑発行動を起こします。
    翌8月13日の第二次上海事変までに起きた主な出来事をひろっただけでも、
    7月 7日 盧溝橋事件
          北京郊外の盧溝橋付近で演習中の日本軍に向けて発砲
    7月13日 大紅門事件
          日本軍トラックを爆破して4名を殺害
    7月14日 日本軍騎兵惨殺事件
    7月20日 盧溝橋城からの日本軍への発砲事件
    7月26日 廊坊事件
          天津北平間の軍用電線の修理に向かった日本軍への発砲
          迫撃砲まで加えて攻撃。日本側14名が死傷。
    7月27日 広安門事件
          事前の了承のもとに北京城の広安門を通過しようとした
          日本軍に向けて不意に手榴弾と機関銃を猛射。
          日本側は新聞記者を含む19名が死亡。
    7月29日 通州事件
    8月13日 大山中尉惨殺事件
          第二次上海事変勃発

    と、まさに立て続けに日本軍を狙った事件が相次いで起こっているのです。

     世界の国際法の常識ですが、「挑発(provocation)」を受けて戦闘(Attack)を行うことは、侵略ではありません。
    正統な自己防衛行為です。
    これは、軍事活動が、敵地で行われたか、自国の領土内で行われたかには一切、関係ありません。
    つまり、ここで日本は、徹底反撃に出て、Chinaを完全に支配下置いたほうが、実は、まだマシだったということができます。
    実際には、日本はどこまでも平和を願う国ですから、ひたすら横暴に我慢して、和平の道を探ろうとしていました。

     それはそれでとても素晴らしいことではあるのですが、このために、Chinaにおいては、日本は完全に「たのみにならない存在」とみなされました。
    むしろ、当時半島人だった日本人の横暴や暴行、強姦などが相次ぐなか、それらに対してさえも、積極果敢な対応を取らない日本人は、China国民の「敵」とすらみなされるようになったのです。

     この時代に、「梅蘭芳」という京劇の役者がいました。
    下の写真が、その梅蘭芳です。
    京劇の女型で、たいへんな人気を博した男性です。
    いまの日本で行ったら、坂東玉三郎と、大人気女優さんを足して二で割ったよりも数倍の人気を当時のChinaで持っていた俳優さんです。

     Chinaにおける京劇というのは、私達の感覚では、日本の歌舞伎と似たような、Chinaにおける伝統芸能といったイメージしかありませんが、実は、Chinaにおいて京劇は、Chinaにおける歴代王朝や昨今の共産党よりも、Chinaの民衆にはるかに大きな影響力を持つ存在でした。

     私たちは、京劇といっても、Youtubeの動画でたまに観るくらいで、甲高いChina語の歌に、激しいドラが鳴り響き、明るい舞台の上で豪華絢爛な衣装を付けた役者さんが舞うくらいのイメージしか持ちません。
    ところが、当時のChinaでは、もちろん京劇は今と同じく、夜、芝居小屋で上演されるのですけれど、舞台照明はロウソクですから、決して明るくない。
    小屋の中は薄暗いわけです。

     その薄暗い空間に、びっしりと人が入り、ドラやハンショウが連続して打ち鳴らされ、ほとんどヒステリックな歌声が響き渡り、護摩が焚かれ、観客たちはある種のトランス状態となり、まさに熱狂していきます。
    つまり京劇は、私達が想像するよりも、はるかに強いメッセージを、人々の感情に訴え、西欧における宗教以上に人々を指導する、実はChinaの伝統文化であるわけです。
    従って京劇を敵に回すことは、Chineseを敵に回すことになります。
    それだけの力が、実は京劇にあるのです。

     残念ながらこの時期、日本は京劇を敵に回してしまっています。
    写真の梅蘭芳も、日本のための上演を要求されましたが、インフルエンザの予防薬を大量摂取して40度の熱を出してまでして、これを拒否しています。

     簡単な図式があります。
    当時、政治的に力のあった国民党と、日本と、共産党の対比です。

     「国民党」は、暴徒そのものでした。
    国民党の兵士たちが芝居小屋を代金も払わず傍若無人に小屋を占拠し、小屋内で他の観客との暴行事件を多発させていました。
    国民党がやってくると、京劇の役者たちは芝居にならず、観客たちは恐怖におののかなけばならなかったといいます。

     「日本」は、基本的に京劇などの地元文化に接点を持たないし、関係もしようとしませんでした。
    ですから日本人は規律正しいとみられる一方で、お高く止まっている→威張っているともとられていました。
    さらに日本人となった半島人の横暴は目に余りました。
    それをChineseたちが日本軍や日本人に繰り返し訴えたけれど、日本軍は動きませんでした。
    つまり、日本人は、「Chineseが困っているときに助けてくれない」人々とみなされました。
    ですから、日本人は、たのみにならずと見られました。

     日本人にしてみれば、どこまでもChinaはChineseのものであり、自分たちは治安維持のために来ている軍隊でしかありません。
    ところがこういう話があります。
    当時の上海です。

     上海には、外国船舶がたくさん往来していました。
    その外国船舶に、Chineseの旅行客たちも乗りました。
    すると欧米各国の船は、乗船したChineseたちを檻(おり)に入れ、四方に銃を持った兵隊を立たせました。

     日本人の感覚からすると、これはたいへんに無礼なことです。
    ですから日本船舶では、このような仕打ちはまったくなかったのですが、ところがChineseたちは、そんな日本船舶よりも、西洋の船舶への乗船を好んだのです。

     なぜかというと、Chineseの中には、泥棒をしたり暴れたりする者もいるわけです。
    銃でも盗めば、それこそその者は、他のChineseたちからあらゆる財物を巻き上げます。
    ですから、何事も起こらないように、自分も含めて檻に入れてもらい、四方から銃を突きつけてもらうほうが、Chinese自身が安心かつ安全だったのです。

    ところが日本人は、Chineseを信頼してると称して、檻にも入れないし、銃も突きつけない。
    それでいて盗難や暴行事件が起これば、犯人を殴ります。
    つまり日本人は暴力的(?)と見られたのです。

     この違い、ご理解いただけますでしょうか?
    マキャベリの「君主論」にある次の言葉、
    「乱世にあっては
     慕わられるより怖がられる方が
     はるかに安全」
    という言葉を思い起こしていただければ、理解の助けになるでしょうか。

     「共産党」はというと、いかなる京劇の人気役者であろうと、言うことを聞かなければ即時、死を与えます。
    その一報で、言うことを聞けば、巨額な経済的支援が行われます。
    そしてその支援は、すべて、Chinaの人民の教育ためだと説明していました。

     この国民党、日本、共産党、三者の違いは、結果として広いChinaの中で、共産党の人気を不動のものにしていきました。
    日本人の中には、日本軍は規律正しかったし、日本人はChineseに対して、人道的な扱いをしてきたし、良くしてきてあげたのに、どうして日本が恨まれなければならないのか。
    なぜ、国民党の中に、共産党のスパイや、共産党に呼応する人物が後を絶たなかったのか、まったく理解できないという人が、歴史学者の中にも、いまだにたくさんいます。

     けれど、それは根底からChinaを見誤っていることに起因しています。
    日本は、天皇がおわし、天皇のもとに、領土領民が「おほみたから」とされてきた、国を一家と考えられる、あるいみ世界に類例のない、まさに古代からの国民国家(Nation State)です。

     けれどChinaは、古代から外来王朝に植民地支配され続けた国です。
    Chinaは易姓革命の国であり、王朝が滅んでも、Chineseは生き残ってきたのです。
    Chinaでは、王朝や政治体制よりも、Chineseの方が古くて長くて圧倒的に数の多い先住民なのです。

     7月7日の盧溝橋事件のあと、通州事件などの事件が相次ぎ、ついに8月13日には第二次上海事変が勃発しています。
    このとき上海にいた海軍陸戦隊4000人の果敢な奮戦がなければ、このとき国外退去(Chinaから日本への避難)のために上海にいた3万6千人の日本人民間人の身の上には、第二の通州事件が、その150倍以上の規模で降り掛かったに違いありません。

     ひとつ弁解をしておくと、当時のChinaにいた日本軍の中には、Chinese社会をよく理解し、Chineseへの対応について、「こうすべし」という明確な手立てを講ずることを強く主張する人たちもいました。
    それは、先程述べた、檻に入れて銃をつきつけて輸送するというように、一見すると怪しいものと思えるものも含めて、それで実際に欧米諸国が統治に成功していたわけです。

     ちなみに、ドイツなどは、いまだにChineseからはたいへんな人気です。
    Chinaでは、日本車は嫌われますが、ドイツ車のワーゲンなら、タクシーとして走行が100万キロを超えても使い倒されます。
    ほとんど全部のタクシーがドイツ車です。
    ドイツは、義和団事件の際に、最も大きな犠牲を払った国です。
    それだけに彼らはChineseを研究し、その結果、義和団事件から117年経ったいまでも、ドイツ人はChina社会で大成功を治めていますし、Chinaに反日はあっても、反独はまったくありません。

     ドイツは、義和団事件で学習したのです。
    ところが日本は、ドイツより以前からChinaと関係を持ちながら、いまだにChineseをわかっていない。
    わかっていないどころか、日華事変の勃発した昭和12年当時は、日本国内では民政党と政友会の二大政党が、互いに罵り合い、罵倒しあい、内閣の足を引っ張り、議員は自己の票のために地元有権者に媚(こび)を売るばかりで、国際情勢や、近隣国の情勢には、現実にそこで日本人が連日酷い目に遭わされているのに、まるで無頓着でした。

     そうした日本の内向き志向が、結果として多くの日本人の命を失わせる結果になり、そして日本を戦乱のルツボに追い込んで行ったのです。
    これは日本人は猛反省すべきことです。

     人の形をしていれば人・・・ではないのです。
    そして、国内政治が、国内での対立と闘争ばかりを繰り返していたら、結果として日本人は、ひどい目にあうのです。

     第二に、日本は侵略のためにChinaにいたのではありません。
    日本がChinaを侵略するために軍を駐屯していて、それを不服とする国民党軍が、盧溝橋で日本軍に発砲したなどと、これまたとんでもない言いがかりのような歴史を説いている人がいます。
    これまた大嘘です。

     日本が当時のChinaに軍を派遣していたのは、明治34(1901)年の「北京議定書(ぺきんぎていしょ)」に基づくものです。
    「北京議定書」というのは、義和団事件(ぎわだんじけん)の事件処理に関する最終的な取決めをした正式な外交文書で、Chinaでは辛丑条約(しんちゅうじょうやく)、欧米では「Boxer Protocol」と呼ばれます。

     この議定書に参加、調印したのは、China(清国)、英国、米国、フランス、スペイン、オーストリア、ドイツ、ベルギー、ロシア、イタリア、オランダ、日本の12カ国です。堂々たる国際条約です。

     議定書の原因となった義和団事件(ぎわだんじけん)は、信仰すれば肉体に神が宿って、その肉体は刀で斬っても傷を負わず、銃弾を受けてもその弾を跳ね返すようになるという、まさにカルトであり、暴力を是認する拳法教団であったわけですけれど、この信者たちがなんと20万という大軍となって、北京にいる12カ国の外国人領事たちがいる外国人居留区への攻撃をしたという事件です。
    この事件は有名な事件で、チャールトン・ヘストン主演で「北京の55日」というハリウッド映画にもなっています。

     この事件では、あろうことか清国政府が、10万の国軍兵力で義和団に加担しました。
    つまりカルトと一緒になって、清の国軍が、義和団とともに外国公使等を襲撃したわけです。
    ところが、圧倒的兵力の動員にも関わらず、清国軍と義和団の大軍は、近代兵器を駆使する北京の外国人居留区にいたわずかな近代国軍に破れてします。
    そして清国政府が、襲われた側の12カ国に敗れた責任をとって交わしたのが「北京議定書」だったわけです。

     「北京議定書」では、日本が比較的穏やかな戦時賠償請求にとどめたのに対し、その他の国は、まさに法外ともいえる賠償金を清国政府にふっかけ、押し付けました。
    そしてこの結果、自国内で騒動を起こして敗れた清国政府は、Chinaの民衆の支持を失い、代わって、孫文の率いる近代化勢力による辛亥革命によって、清国政府自体が倒れてしまうわけです。

     清王朝そのものは、それ以降も存続するのですが、辛亥革命の中心者となった孫文が軍事に疎かったことから、結果としてChina内部の軍閥勢力に押されて、辛亥革命以降の政権が定まらず、この時代、Chinaはいわば無政府状態となってしまっていました。

     無政府状態というのは、治安維持が図れない状態です。
    そこで諸外国は「北京議定書」にのっとって、各国の軍隊をChinaに派遣し、China国内の治安の維持と自国民の安全を図っていたわけです。

     盧溝橋事件は、日本陸軍が北京の南を流れる盧溝河に架かる橋近くで夜間演習をしていた際に、突然何ものかから発砲を受けた、これとほぼ時を同じくして近くにいた10万の国民党軍も、銃撃を受けた。
    そして日本と国民党軍が、互いに一触即発の事態になったという事件です。

     しかも発砲を受けたとき、演習をしていた日本陸軍は、実弾を携行していません。
    つまり銃は持っていたけれど、弾は持っていない。
    弾がなければ、国民党に発砲のしようもないわけで、両軍とも軍使を出して、現地で事件を拡大しないように交渉し、事件発生の5日後には、日支両軍は停戦協定を結んでいます。
    事件は、これで解決してしまったのです。

     ところが両軍を争わせようと仕掛けた側の中共政府は、両軍が和解してしまうと困るわけです。
    この中共が仕掛けたという事実については、China共産党の周恩来首相が昭和24(1949)年10月1日の「中華人民共和国」成立の日に、明確に述べています。

    =========
    あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ。
    =========

     思惑通りにならなくても「なった」と強弁するのは、共産党やカルトに際立った特徴です。
    盧溝橋事件では、彼らの思惑通りに日本と国民党軍を戦わせることができなかった。
    その「できなかったこと」を、逆に「今日の栄光をもたらしたものだ」と強弁する。
    本当に、毎度毎度の同じ手口です。

     周恩来の発言は、盧溝橋事件が当事者であるChina国民党と日本陸軍との紛争ではなく、第三者であるChina共産党による「工作」であったことを明確にしています。
    実はそれだけではなくて、盧溝橋事件の最初の発砲事件から4日目の7月8日に、China共産党は日本との全面交戦を呼び掛けているのです。
    けれど日本も国民党も、互いに使者を派遣して11日には和議を結んでしまう。
    つまりこの段階で、共産党の工作は失敗に終わっていたのです。

     そこで、あくまで日本と国民党とを戦わせたい中共が仕組んだのが、同年7月25日の廊坊駅における国民党軍と日本軍との戦闘(廊坊事件)、7月26日の北京市の広安門において日本兵が襲撃されるという広安門事件です。

    そしてこの二つとも、日本によって見事に鎮圧された結果、廊坊や広安門での工作員たちが、北京郊外の通州市に集結して、日本人居留民を襲ったのが7月29日の通州事件です。

     それでも戦いたくない日本は、民間人の商社マンでChina通の船津源一郎に依頼して、それまでのChina国民党の言い分を全部呑むから、互いに仲良くしようともちかけています。
    これが「船津工作」と呼ばれるもので、日本が国民党側の言い分を全部呑むなら、国民党としては、最早日本と争う理由がまったくありません。

     そこでこの条約調印が、10日後の8月9日に上海で行われることになったのですが、この調印を是が非でも実現させたくないChina共産党がこの調印式を中止させるためにやったのが、上海市内における日本海軍陸戦隊中隊長、大山勇夫中尉の惨殺事件です。
    大山中尉は、クルマで上海市内を走行中、突然、取り囲まれてて銃殺されています。
    それも、機銃掃射を浴びて、虫の息となっているところを、わざわざ車外に引きずり出して、青龍刀で頭蓋骨を割られるという残酷さで、です。

     さらに続けてこの日、一人のChinese死刑囚が国民党軍の軍服を着せられて、上海飛行場の門外で射殺されるという事件も起こりました。これまたChina共産党による工作で、いかにも日本が発砲したように見せかけたものでした。

     こうして日本とChina国民党との和解工作は破談になり、翌8月11日にはChina国民党は、日本との停戦協定を破って、公然と上海に、なんと5万の兵を進めます。
    そして8月13日には、いきなり日本軍の駐屯地に機関銃による射撃を開始する。
    日本側の兵力は、この時点でわずか4000名です。

     そしてやむなく、日本は上海派遣軍を編成して、国民党討伐に乗り出したのです。

     わたしたちは、歴史に学ばなければならないと思います。世の中には、自己の利益のために、何の関係もない他人や他国を争わせようとするイカレタ連中が、政党や国家の仮面をかぶっているケースが、現実に存在するのだということを、です。

    そしてそういう連中に対しては、何の説得も無駄なことだし、金銭を与えて黙らせるということも、結果としてただ金額が跳ね上がって行くだけで、何のメリットもない。イカレタ連中には、中途半端な同情ややさしさは、絶対に禁物であり、徹底排除して一切の関係を絶つか、あるいはそうでないのなら、恐怖で相手を徹底して打ち負かし、縛り上げるしかないのです。

     日本は、China、韓国のためにある国ではありません。
    日本は、日本国民のためにある国です。
    世界政府や人類の平和という言葉が、いかに絵空事にすぎないかは、盧溝橋事件から通州事件、第二次上海事変に至る経緯を学んでから語ってもらいたいものだと思います。

    ※この記事は2017年7月6日の記事の再掲です。

    お読みいただき、ありがとうございました。

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