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安倍首相に対する新報とタイムスの微妙な違い

 6月23日の慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式での安倍晋三首相あいさつについての記事で新報「参列者「心に響かない」 沖縄全戦没者追悼式・首相あいさつ」とタイムス「「うそつき」「帰れ」 安倍首相のあいさつ中に抗議の声 沖縄追悼式」が掲載されたが、二つの記事には微妙な違いがある。
 
 新報もタイムスも首相のあいさつに「うそつき」「帰れ」などと激しいヤジがあったことについて書いている。
 参列した人の声として、
琉球新報
「見せかけじゃなく、県民に寄り添った気持ちを見せて政治の場で生かしてほしい」
「県民投票の結果を無視する政府のやり方は、県民の意見を軽視している」
「心に響かなかった。沖縄に来たこと自体が演出に感じる」
沖縄タイムス
「基地負担軽減を言いながら、民意を無視し新基地建設を進めるのは矛盾だ」
「去年と同じでしらじらしく、思いが入っていない。二度と来ないでほしい。議長の話はしっかり響いた。首相は気持ちがまったく伝わらない」

と両紙とも安倍首相を批判するインタビュー記事を掲載している。しかし、新報は批判する声だけを掲載しているがタイムスはそうではなかった。
「忙しい中、首相は時間をつくって沖縄のために来てくれているのにやじを飛ばす必要はない。県民は感謝しないといけない」
と安倍首相に感謝しやじに対して批判的な声も掲載している。ここに新報とタイムスの微妙な違いがある。新報は慰霊祭の記事では反安倍に徹底して、慰霊祭に参加した沖縄の人みんなが安倍首相に反発しているとイメージさせる記事に徹している。しかし、タイムスはやじを批判する参加者も居たことを掲載している。

 沖縄戦で犠牲になった多くの人々の霊を慰めるための慰霊祭である。敵味方も政治も関係なくただひたすら霊を慰める式典なのだから、その場ではお互いに霊をいたわり感謝しあう心だけが大切である。
 慰霊祭に参加した人は、あいさつするすべての人に感謝する心が大切である。たとえ安倍首相の政治に反対であっても慰霊の場所では感謝するべきである。ところが安倍首相のあいさつにやじを飛ばした人間たちが居たのである。やじは慰霊祭を侮辱する行為である。慰霊のために来た人であるなら決してやじを飛ばすことはない。やじが霊を安らかにすることはないからだ。やじを飛ばした人間には慰霊の心がない。

 慰霊祭のあるべき姿を重視するマスコミなら安倍首相にやじを飛ばしたことを批判するべきと思うが新報は一切していない。安倍首相へのやじだけを掲載した新報の記事を読めばば慰霊祭に参加したほとんどの人が首相に反発していると思うだろう。しかし、現実はそうではないと思う。首相が慰霊祭に来てくれたことに感謝し、やじを飛ばした人間には慰霊祭の威厳をぶち壊した「沖縄の恥」だと思う人が居るのは当然である。だから、タイムスはやじを批判する声を掲載したのである。タイムスはマスメディアとしての倫理をかろうじて守ったが新報は倫理を逸脱してしまっている。新報は反安倍イデオロギーの機関紙になってしまっていると思わざるを得ない。

最近の新報は異常である。反安倍、反辺野古移設、反米軍基地イデオロギーに執着してきた果てに「沖縄は植民地であるイデオロギー」の塊になってしまっている。タイムスも反安倍、反辺野古移設、反米軍基地の立場に執着してはいるが、新報のようにイデオロギー機関紙までにはなっていない。マスメディアに重要な「事実の報道」を完全に無視することは避けている。
微妙な違いが慰霊祭の安倍首相の記事で現れた。


「沖縄に内なる民主主義はあるか」より転載
http://hijai.ti-da.net/

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