ワシントン・タイムズ・ジャパン

「平和ボケ」とは 戦争を否定するために戦闘力まで否定すること

丸山議員の発言で問題になった戦争という言葉。この言葉、日本とロシアの両者の立場を正当化するためのガラス細工のような施策であるあのビザなし交流の場では、不適切なのは間違いありません。ただその後の議論を封じ込めることは外交上正直おかしな話です。(彼の病気、診断書、政治家の質とは別です

そんな中このような記事を見つけました。(誰が本当の「平和ぼけ」か

>丸山氏の発言が浮き彫りにしたのは、戦争がもたらす厄災の体験を継承していない世代が、戦争を「普通に取れる手段」のように考え始めている現状だ。

戦争という手段の可能性。筆者の世代がどこまでかは不明ですが、短絡的な今の若いものは理論を感じます。

>戦後の日本政治は「とにかく戦争をしない」ということを大前提にして出発した。政治とは戦争をくい止めるためにある。もし戦争になってしまったら、それは政治の敗北であり、政治家という存在の自己否定なのだ。それだけの矜持(きょうじ)が昭和後期の政治家にはあったように思える。

これは一部正しいのですが、戦争をしない目的のために戦闘力まで昭和後期の政治家は捨てていません。戦争をしないと言い続ければ戦争が起きないなんて、自分たちが不当に攻撃されても、国連がいつか助けに来てくれるというどこかの映画の幻想に過ぎません。

>「平和ぼけ」という言葉がある。日本で平和が続いているため、世界の安全保障の厳しい情勢に危機感が薄くなった状態を指す。リベラル、ハト派の外交姿勢や安全保障政策を揶揄(やゆ)する時に使われることが多い。

外交における防衛力、戦争を避けるための抑止力という名の軍事力、戦争までいかせないための戦闘力の保持まで否定していることが一番の問題「平和ぼけ」だと思います。そう戦争と戦闘行為の区別がついていない不十分なリベラル、ハト派が揶揄されているのです。

>しかし私に言わせれば、戦争の本当の悲惨さについて知識も想像力も欠いたまま、ただ威勢のいい発言で好戦的なムードをあおる連中こそ、よほどたちの悪い「平和ぼけ」である。

この文章も一面ではそうかもしれません。ただこの2つのを「平和ぼけ」を全く相容れないものと考え、戦争と戦闘を同一して否定してきたことが外交上役に立たない「平和ぼけ」を生み出し、今の日本の北方領土、竹島、尖閣諸島を含めた外交上の敗北を生んでいると思っています。

だからといって武力行使をしろなんて言っているわけではありません。ただある程度の武力がないと、相手は話にも乗ってくれません。世界的に当たり前のことです。

戦争と戦闘行為は別。そして戦闘力の保持は外交上必要。その原則がわからない人を「平和ボケ」と呼ぶのだと思います。


「中村ゆきつぐのブログ」より転載
http://blog.livedoor.jp/dannapapa/

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