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民主主義精神がゼロの新報社説2

「琉球王国の約500年の歴史に終止符を打った廃琉置県の布告から140年がたった。沖縄は何が変わり何が変わらないのか」
と述べた新報社説は、本土決戦に備える時間稼ぎのための「捨て石」作戦により、12万人余の県民が犠牲になった沖縄戦に続き、米国の統治下では広大な米軍基地が築かれ、反共防衛の「要石」にされ、日本復帰後は全国の約7割を占める米軍専用施設(面積)を背負わされているようになり、尖閣諸島の有事などに備え、自衛隊配備の強化も進んでいると述べ、琉球併合後の沖縄は、日米の軍事的なとりでにされ続けている点では変わらないと述べている。

 新報社説は変わらないことを述べているが、琉球処分によって変わったことを述べよう。
 琉球王国時代の農民は地割制度によって土地の私有を許されていなかったが琉球処分後は私有することができた。そして、村から出ることを禁止されていたが、移動が自由になり、本土や外国に移住することもできるようになった。人口は明治時代に琉球王国時代の40万人から60万人に増えた。本土の資本によって製糖産業が大型化して成長していった。県外や国外への移民も増えた。

 新報社説は琉球併合後の沖縄は、日米の軍事的なとりでにされ続けている点では変わらないと述べているが、日本の最初の戦争は1894年(明治27年)に起こった日清戦争であった、そして、1904年(明治37年)には日露戦争を起こした。そして、満州事変と日本は大陸へ侵攻していった。戦争は日本ではなく大陸で起こり、日本軍は大陸に進出した。とりでというのは敵の侵略を防ぐためにつくられるものである。大陸に進攻していった日本軍が沖縄をとりでにする必要はなかった。沖縄が戦前まで軍事的なとりでにされていたというのは新報社説の誤りである。沖縄はとりでではなかった。
 沖縄がとりでになったのは太平洋戦争でアメリカ軍が優勢になり沖縄上陸を目指したからである。

、米軍はフィリピン方面のレイテ島の戦い、ミンドロ島の戦いで勝利を収め、1945年1月にはルソン島に上陸しルソン島の戦い、ミンダナオ島の戦い、ビサヤ諸島の戦い、マニラの戦いで勝利し、日本の南方の要衝であったフィリピンを制圧した。政治的に国民的英雄となっていた米陸軍のマッカーサーは台湾攻略を主張していたが、1944年6月の八幡空襲を皮切りにした「日本本土への継続的な爆撃」は中国大陸成都基地からの散発的な空爆に代わって、11月のグアム島やサイパン島・テニアン島の基地整備に伴うB-29爆撃機での日本本土への本格的な攻撃開始により、統合参謀長会議でヘンリー・アーノルド陸軍大将(硫黄島攻略提唱当時)が日本本土への戦略爆撃をより効果的にできるように硫黄島の攻略を唱えたために、ついに海軍側の主張する沖縄上陸とその前提の硫黄島攻略がアメリカ軍全体の基本戦略となった。日本軍はアメリカ軍が沖縄上陸を目指したから沖縄をとりでにしたのだ。沖縄がとりでになったのは太平洋戦争の末期である。
アメリカ軍は日本上陸の前提として沖縄諸島に戦線を進め、沖縄本島への上陸作戦を実行し沖縄戦になった。沖縄戦は民間人をも巻き込み凄惨な地上戦が行われた結果、民間人の死傷者数が十万人になった。
なぜ、日本軍十万人、民間人十万人の死者が出たのか。その原因は日本が軍国主義国家であったからだと私は考えている。
1921年(大正10年)に初めての政党政治家であった原敬首相が刺殺され、9年後の1930年(昭和5年)11月14日に天皇の統帥権論を撥ね付けた浜口雄幸が東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され10カ月後に死亡した。1932年(昭和7年)5月15日には犬養毅が海軍の青年将校に狙撃されて死亡した。日本は12年間で3人の政党政治家の首相が暗殺されるという異常なことが起こり、政党政治はわずか10年余崩壊して軍部主導の政治になっていった。
四民平等・法治主義から始まった日本の政治は政党政治、大正デモクラシーへと民主主義の方向に発展していったが、一方では軍部や右翼が台頭していって三人の首相の暗殺で軍部が政権を握って日本は軍国主義国家になっていった。
軍国主義の日本は国際連盟を脱退し、満州を独立という名の植民地にした。そして、中国やフィリピン以南に戦局を広げていった。しかし、次第にアメリカ軍に敗北していって沖縄戦になった。

軍国主義国家になった日本は清やロシアと違い、日本国民の最後の一人まで戦うという一億人総玉砕の政策であった。
「陸海軍の特攻隊に続き、1億国民も全員、特攻隊として闘魂を鉄火と滾らし(たぎらし)、(自爆して)戦局を挽回しょう」
「敵が上陸してきたら国民はその土地を守って積極的に敵陣に挺身斬り込みを敢行し、敵兵と激闘し、これを殺し、また兵器弾薬に放火したり、破壊して軍の作戦に協力しなければならない。白兵戦の場合は竹槍で敵兵の腹部を狙って一突きにし、また、鎌、舵、玄能、出刃包丁、鳶口、その他手ごろのもので背後から奇襲の一撃を加えて殺すこと、格闘の際はみぞおちを突いたり、睾丸を蹴り上げて敵兵を倒すように訓練を積んで置かなければならない」

一億人総玉砕政策であったから日本政府は本土決戦を覚悟していた。本土決戦の前に沖縄戦があった。
 一億人の国民全員の死を政策にするというのは過去の歴史にないし世界の歴史にもない。軍国主義は日本の異常な政治であった。
 政党政治の日本であったなら国際連盟を脱退することはなかったし、戦争拡大はなかっただろう。米国と戦争をしていなかった可能性もある。米国と戦争したとしてもフィリピンが占領された時には敗北を宣言し、被害を少なくするための政治交渉をしていたはずである。政党政治の日本であったなら沖縄戦はなかったはずである。軍部が政権を握っていた軍国主義であったから沖縄戦になったのである。
 琉球王と士族を沖縄の人々と思っている新報社説は民主化を発展させていった政党政治と軍部の非民主的な政治の違いを知らない。新報社説にとって琉球王と士族が沖縄の人々であり、天皇と士族に代わる軍部が日本の人々なのである。だから、明治からずっと沖縄は日本の軍事的とりでであったと思うのだ。
 新報社説には民主主義思想が欠落している。支配者の理論しかない。だから沖縄人である琉球王府が農民を支配して搾取していた統治を肯定し、沖縄人ではない日本政府が沖縄の身分制度を廃止し、四民平等の社会にし、経済発展を目指したことは日本が軍事支配をしたようにしか見えないのだ。新報社説は沖縄支配者が沖縄人か日本人かという目でしか見ることができないのだ。


「沖縄に内なる民主主義はあるか」より転載
http://hijai.ti-da.net/

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