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  • 堂本かおる
    堂本かおる
    ニューヨーク在住フリーランスライター
    菊田 均
    菊田 均
    文芸評論家
    松本 健一
    松本 健一
    評論家
    中岡 弘
    中岡 弘
    著述家
    大島 直行
    大島 直行
    伊達市噴火湾文化研究所長
    時広 真吾
    時広 真吾
    舞台演出家
    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    今日は尼港事件があった日

    尼港市(にこうし)というのは、いまはロシア領になっているニコラエフスク市のことです。
    黒竜江(アムール川)の河口に位置する街です。
    そこに4300人の共産パルチザンがやってきました。
    そして大規模な住民の虐殺事件を起こしました。
    これが尼港事件です。

    このお話は、拙ブログで何度もお伝えしています。
    けれど「何度でも」繰り返します。
    なぜなら、下の写真があるからです。

    430

    この写真は事件直後に尼港にある獄舎で発見されたものです。
    獄舎の壁に鉛筆で書かれていました。
    この日、ようやく日本の援軍が到着するとなった日、最後に生き残った日本人たちが、虐殺されました。
    この字は、おそらく殺される直前に書かれたものと思われます。
    そこには、
    「大正9年5月24日午後12時を忘れるな」
    と書かれています。

    尼港事件で殺された住民の数は、当時の街の人口のおよそ半分にあたる約6,000名です。
    加害者の共産パルチザンは、
     ロシア人 約3000人
     Korean  約1000人
     Chinese  約 300人
    という構成です。

    大陸では他にも様々な虐殺事件が記録されていますが、歴史を通じて、特に近代史においては、そこにKoreanが入ると事件が非常にややこしくなります。
    凄惨になるのです。
    Koreanはベトナム戦争でも、たった5万の兵士が、10万のライダハン事件を引き起こしました。
    またいまでもなお、あちこちの国で強姦致傷殺害事件を引き起こしています。
    歴史は何度でも繰り返されます。

    「だから恨みを持て」と言うのではありません。
    また、Koreanだからといって差別することもよくありません。
    けれど、そういう行動に走りやすい傾向を持つ人達があり、かつこれを集団で行動にうつす人たちが歴史上多々存在したという事実は忘れてはならないことです。
    事実は事実として、ちゃんと認識することは、個人においても国家においても、あたりまえの常識です。

    どこかの国のように、「恨みを持て」というのでもありません。
    尼港事件で犠牲となった日本人も、おそらく「恨んで欲しい」とか、「復讐してほしい」などと思う人はいないと思います。
    だから、壁に書かれた文字にあるように、
    「忘れるな」
    なのです。
    これは、地獄を味わった同胞たちからの、血の出るような叫びです。
    その叫び声を、私たちは決して忘れてはいけないと思います。
    なぜなら、二度と、同じような苦しみを味わうことがあってはならないからです。

    恨みとか差別とかではありません。
    人道は、とてもたいせつなことだけれど、この世には現実に人の皮をかぶったケダモノがいるのです。
    そのような者に対する警戒は、金輪際(こんりんざい)、決して怠ってはならないのです。

    さて、ニコライエフスクは、ロシアやソ連ではなく、China女真族(満州族)の土地だったところです。
    ここには、大正9(1920)年当時、日本人700名を含む1万7千人あまりが住んでいました。

    住民の内訳は次の通りです。

     日本居留民 約   700名
     白系ロシア人約1万5000名
     Chinese   約  1000名
     Korean   約   500名

    日本人700名には、日本陸軍の2個歩兵中隊の約260名が含まれます。
    その他の日本人440名は軍属と婦女子です。

    なぜ尼港(ニコラエフスク)に、日本陸軍が駐屯していたのでしょうか。
    それには明確な理由があります。

    大正6年(1917)に、帝政ロシアでレーニンの指揮による「ロシア革命」が起こりました。
    ロシア革命というと、ただちにソヴィエと連邦共和国が成立して、いきなりロシア全体が夢と希望に満ちた地上の楽園の共産主義国家になったかのようにいう人がいますが、まったく違います。

    この年、レーニンはロシア皇帝を引きずり降ろして政権を奪いましたが、ロシア革命が行われた当時は、世界中どこの国の政府も、レーニン率いるソ連政府を国家として承認していません。
    むしろ過激派勢力によるロシア国内のテロとして警戒していました。

    ロシア革命がロシアにもたらしたものは、ロシア各地の無政府状態です。
    とりわけ多数の囚人が送られていたシベリアは、とんでもない状況になりました。
    シベリア送りになっていた凶悪犯罪者らが突然牢屋(ろうや)から出されて、ロシア共産党から武器を受け取って世間に放たれたのです。
    これが世に言う「共産パルチザン」です。
    彼らは、集団で徒党を組み、あちこちで悪逆非道の限りを尽しました。

    これはもともと大陸の伝統です。
    日本では古来、軍人がきわめて礼儀正しいので、多くの日本人が誤解するのですが、大陸では、軍人とヤクザと暴徒はまったく同じものです。
    しかもシベリア送りになっていたのは、帝政ロシア時代の極悪人たちです。
    ただでさえ極悪非道な連中が、そのしでかす凶悪行為を、共産主義革命のためだと正当化され、武器弾薬の補給まで受けるようになったのです。

    まさに、キチガイに刃物どころか、銃と豊富な弾薬が与えられたのです。
    彼らは集団で徒党を組み、武器を手にし、パルチザンとなってシベリア各地を荒し回りました。

    ロシア革命当初は、シベリア方面には保守派のロシア極東総督のロザノフ中将や、コルチャック提督などがいました。
    彼らはロシア帝国の正規軍を指揮し、パルチザン化した凶悪犯たちや、革命派勢力などと戦いました。
    けれどすでに本国のロシア王朝は倒れています。
    これが意味することは、彼らシベリアの正規軍には、中央からの補給がない、ということです。
    また、戦うシベリアの正規軍の兵士たちは、給料の保証がないということです。

    それでも当初は日英米の三国が、シベリアのロシア正規軍の支援のために、大正7(1918)年8月に、シベリアに共同出兵しているのですが、翌年になると、シベリア・オムスクにあったロシアの総督府が、パルチザンの攻撃によって倒されてしまいます。
    ロシアの総督府あればこそのシベリア出兵です。
    身の危険を感じた米英両国はシベリアから撤兵してしまう。

    ところが日本は、ロシアと国境を接しています。
    北満州には、たくさんの日本の一般人が残っています。
    そしてパルチザンが南下してくれば、それはそのまま日本の危機になります。
    現実にもしパルチザンが海をわたって樺太、北海道にやってくれば、その被害は想像を絶するものになります。

    ですから米英が軍を撤収しても、日本はシベリアに兵を留めるしかなかったのです。
    このとき日本は第12師団(約1万5000名)を、シベリア各地に派遣しています。
    けれどシベリアは広大です。
    わずか1万5000名の派兵では、各所に分散するため、それぞれの駐屯地にいる日本軍の数は僅少です。
    このため尼港も、2個中隊260名しか駐屯できなかったのです。

    そこにパルチザンがやってきました。
    大正9年(1920)年1月29日のことです。
    その数なんと4000人。
    リーダーは共産主義者のトリビーチンです。

    341

    尼港市 1900年

    守備していたのは、石川少佐率いる2個中隊(約260名)と、無線電信隊の40名、それとロシア兵(共産赤軍に対して白衛軍と呼ばれていた)の合計約350名です。
    つまり守備隊の6.7倍もの暴徒が、街を取り囲んだのです。

    街を包囲したパルチザンは、
    「自分たちに敵意はない。
     食料の補給に
     協力してほしいだけだ」
    と使いを立ててきました。
    これを真に受けた尼港の市長は、パルチザンを市内に引き入れました。

    ところが市内に入るやいなや、パルチザンたちはロシア白衛軍の将兵を捕らえて、これを全員殺してしまいます。
    そして抵抗力のなくなった白系ロシア人や市内のユダヤ人たちを虐殺し、家内の家財、財宝を奪い、婦女子に暴行をはたらき、殺害します。

    このときパルチザンたちは、次々と白衛兵と白系市民を銃剣で突き殺して、黒龍江の結氷を破って作った穴から、凍る流れに人々を放り込みました。
    それは、たった一晩のできごとでした。
    けれどたった一晩で、尼港では、ロシア人とユダヤ人、約2500人が虐殺されてしまいます。

    翌朝、事実を知った日本の尼港市領事館では、石田副領事がパルチザンたちに「厳重抗議」を行ないました。
    あえて「腰抜け」と呼ばせていただきますが、こうした行動は、自国の領海内で他国の軍船からレーダー照射を浴びせられても「まことに遺憾でございます」とオウムのように繰り返すことしか脳のない、いまの日本国政府と同じです。
    けれどすでに暴徒状態になって殺戮をほしいままにしている共産パルチザンが、そのような「抗議」など聞く耳を持たないのは、当然のことです。
    抗議を受け入れるくらいなら最初から虐殺などしていないのです。
    そしてパルチザンたちは、逆に日本側に武装解除を要求してきました。

    前の日に白人たちが虐殺されています。
    日本兵が武装解除したら、そのあと日本人が何をされるのかは火を見るより明らかです。
    現地の日本軍部隊は、日本の本部に急を知らせる電文を打ちました。
    けれど日本からの援軍は、小樽からの発進です。
    真冬の寒い時期のことです。
    海面が凍結しているのです。
    軍はすぐには動きようがない。

    満州方面にいる他の部隊も、移動は徒歩です。
    いちばん近い部隊でさえ、到着するのに40日を要します。
    ニコラエフスクから日本人、ならびに日本軍駐屯隊が脱出しようにも、周囲は凍土です。
    しかも街自体が、共産パルチザンによって、蟻の這い出る隙もないほど包囲されていまです。
    つまり尼港の駐留部隊は、極寒のシベリアで、完全に孤立していたのです。

    「座して死を待つくらいなら、勇敢に戦って死のう」
    領事館が頼みにならないと知った日本人たちは、ここでようやく日本人の義勇隊を募ります。
    そして3月11日、日本人110名で共産パルチザンの本拠を急襲します。

    けれど敵は、武装した4000人の大部隊です。
    衆寡敵せず。
    指揮官の石川少佐以下多数がまたたくまに戦死してしまいます。

    義勇隊に参加しなかった軍人、軍属と女子供達600名は、義勇隊の奮戦の最中に、他に行くあてもなく、日本領事館に避難しました。
    けれど領事館に集まることができたのは、わずか250名だけでした。
    逃げ遅れた人達は、武装した共産パルチザンの手にかかってしまいます。

    後日の調査記録によると、共産パルチザンたちは、この日、日本人の子供を見つけると2人で手足を持って石壁に叩きつけて殺し、女と見れば老若問わず強姦し、おもしろ半分に、両足を2頭の馬に結びつけて股を引き裂いて殺しています。
    こうしてまたたく間に、義勇隊110名、逃げ遅れた日本人約240名が犠牲となりました。

    日本領事館では、襲ってくる共産パルチザンたちと、激しい戦闘が繰り広げられました。
    戦闘はまる一昼夜続きました。

    実際に傭兵として世界の戦場を点々とした経験を持つ方から聞いた話ですが、一般に、銃撃戦というのは、ほんの数分で決着がつくものなのだそうです。
    銃撃戦が10分も続いたら、
    「今日の戦闘はむちゃくちゃ長かったねえ」などと、後々まで話題になるのだそうです。
    そのくらい、銃撃戦は戦闘員たちに、ものすごい集中力と緊張を強いるものだということです。
    それが尼港の日本領事館では、まる一昼夜、銃撃戦が続いたのです。
    立てこもる日本人兵士たちの緊張感、後方で震えていた日本人婦女子たちの恐怖は、想像するにあまりあります。

    一昼夜が経ち、朝日が射す頃、領事館内の生存者は、わずか28名になっていました。
    弾薬も底をつきてしまいました。
    残った一同は、まず子供を殺し、石田副領事、三宅海軍少佐以下全員が自決しました。

    こうして一夜が明けたとき、尼港に残る日本人は、河本中尉率いる別働隊と領事館に避難しないで、かつ生き残っていた民間人121名だけになりました。
    抵抗を続ける日本軍強しとみた共産パルチザンは、策を弄しました。
    「山田旅団長の停戦命令」を偽造したのです。

    河本中尉は、これは「怪しい」思いました。
    けれどもし、停戦命令に従わなかったことが、後日、国際上の問題となったら取り返しがつきません。
    軍は、あくまでも上官の命令によって動くものです。
    河本中尉は、命令を受け入れました。

    河本中尉以下の121名は、全員、武装解除のうえ投獄されました。
    そして、食事もろくに与えてもらえないまま、日本の救援軍に対する防御陣地構築のための土方仕事に駆り出されました。
    零下30度の極寒の中で、凍てついた大地に土嚢を積み上げ、陣地の構築をしたのです。

    そして、陣地構築が終わると、手のひらに太い針金を突き通して、後ろ手に縛られ、凍ったアドミラル河の氷の穴から、生きたまま共産軍によって次々と川に放り込まれ殺されました。

    春になって、ようやく旭川第7師団の多門支隊が現地の救援にやってきました。
    そこで彼らは、地獄絵図を見ました。

    焼け野原と化した尼港には死臭が漂い、
    「いったん撤退するが
     再び来て
     日本人を征服し尽くす。
     覚悟せよ」
    と書かれた共産パルチザンの声明書が残されていました。

    日本の救援部隊来着近しの報を受けた共産パルチザンは、5月24日に、Chineseの妻妾となっていた14名の女性以外の生き残った日本人全員を殺害しました。
    そのChineseの妻妾となっていた女性たちの証言から、1月29日から5月24日までの100日余の尼港の模様が明らかになりました。

    日本人たちは、生きたまま両目を抉り取られ、
    5本の指をバラバラに切り落とされ、
    死ぬまで何度も刺されていました。

    そして金歯があるものは、生きたまま、あごから顔面を切り裂かれて、金歯を抜き取られました。
    女は裸にされ凌辱された上で、股を裂かれ、乳房や陰部を抉り取られて殺されました。
    獄舎の壁には、血痕、毛のついた皮膚などがこびりついていました。

    思うに、日頃の訓練から、早い段階ですばやく日本人を領事館に集めることは、当時の体制として十分に可能なことでした。
    そのための訓練は日頃から行われていたのです。
    そして、まだ日本人が被害に遭ってない時点で(それはつまりパルチザンがやってきた最初の日の時点で)、日本人居留民と軍人を領事館に全員集結させ、そこで戦力を集中して籠城戦に持ち込めば、多勢に無勢とはいえ、共産パルチザンからの蛮行被害に、日本人が遭わずに済んだ可能性は十分にありました。

    これには実例があります。
    通州事件のすぐ後、第二次上海事変の際に、押し寄せた5万の訓練された国民党軍に対し、わずか4千の海軍陸戦隊が応戦して国民党軍の進撃を食い止め、当時上海にいた3万6千の日本人居留民の命を守っています。
    敵の数が10倍だろうが20倍だろうが、当時の日本の軍人の強さは、まさに破格の強さだったのです。

    さらにいうなら、少数の兵で、尼港の居留民を護るためには、戦力の集中化は不可欠です。
    そして籠城戦が、何よりも有利です。

    ところが実際に起きたことは、すでに共産パルチザンが白人たちを虐殺しているという事実があるのに、当時の尼港の領事は日本兵を集結させず、日本人居留民への避難勧告も行わず、やったのはただ「厳重抗議」だけです。
    結局、日本側は隊の集結もないままに、各隊が独自の判断でバラバラに行動することになった結果、事態は最悪の事態となりました。

    ここですでにお亡くなりになっている石田領事の責任を云々するつもりはありません。
    ただ、私達は歴史からしっかりと学ばなければならないと思うのです。

    上にレーダー照射事件のことに少し触れましたが、日本の領海内で他国の船からレーダー照射を浴びせられ、誤認か過失ではないかと問い合わせの無電をしても回答がないなら、その時点で当該艦に搭載ミサイルを発射して、当外艦を撃沈すべきなのです。
    それが、主権国家の自衛というものです。
    例外はありません。
    むしろ、何もしないで帰還してきて、政府が「まことに遺憾です」などと無責任なことを言っていることのほうが、国際法上、異例の処置なのです。

    私は戦争は反対です。
    あらゆる戦闘行為にも、反対です。
    けれど、無法たちが無法な振る舞いをして、多数の日本人が犠牲になることを、ただ黙って指を咥えて見ているような間抜けな国家行為には、もっと反対です。

    一罰百戒。
    無法な振る舞いには、間髪をいれずに打撃を与えるしか、国家の安全を図る道はないのです。
    そしてそれを行うだけでなく、日本が客観的にみて、世界中のどの国と比べても、特に東亜地域においては、日本が世界最強の軍事力を有し、有するだけでなく、これを行使する実行力を持った国にならなくては、我が国の安全は護ることができないのです。
    そしてそのことにひとりでも多くの日本人が目覚め、日本をちゃんとした国民の生命財産を護ることができる国になることこそが、尼港事件で被害者となられた邦人たちの、いまなお色褪せぬ願いであると申し上げたいと思います。

    トップには、ピンクのバラの画像を貼らせていただきました。
    ピンクのバラの花言葉は「しとやか・上品」です。
    「令和」のもとになった万葉集の「初春令月」の歌も、国防の最前線において、
    「我が国の乙女たちがしとやかに、
     上品に暮らすことができる、
     そういう国を俺たちは護り抜くんだ、
     そのために俺たちはいるんだ」
    という防人の心を見事に歌い上げた漢詩であるともいわれています。
    私達はいまこそ、先人たちにその心を学ぶべきと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

    ※この記事は2009年6月の記事のリニューアルです。
    お読みいただき、ありがとうございました。


    「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
    http://nezu621.blog7.fc2.com/

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