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新聞を地方紙に換えてみた

 元号が変わったからというわけではないが、5月から購読紙を全国紙から地元地方紙に換えた。長年、全国紙を読んできたが、もっと細かい地元の情報が欲しかったからだ。それに、全国紙は会社で全紙、目を通せるので、家でとる必要はない。

 期待通りに地域の情報が載っている。地元の話題や人物も紹介されており、その点では結構、満足している。

 しかし、政治、経済、国際のニュースは物足りない。やはり全国紙との差は歴然としていた。それに、登場する識者のレベルがやはり違う。地方紙だけ読んでいたら、確実に広い視野を失う、と感じた。

 さらに政治、経済、国際のニュースや解説のほとんどは共同通信の配信記事である。共同の編集方針がそのまま紙面に反映している。他の全国紙をとらず、これだけ読まされていたら読者がつくる世界観は相当に偏ったものになるだろう。このことは昔から地元紙だけをとってきた人には自覚しずらいものだ。

 ちなみに、日本には大きな通信社が2社ある。共同通信と時事通信だ。通信社とは自身で媒体(新聞など)をもたず、記事や論説を供給するだけの言論機関だ。ワシントンや北京に特派員を置くことのできない地方紙は共同や時事の特派員が書いてきた記事や解説をそのまま使うことが多い。記事の加工もできるが、それには国際情勢への広い知見が必要だ。地方紙にはそのスタッフがいない。

 もっとも、地方紙に国際情勢分析を求めるのは、八百屋で魚を求めるに等しい。

 一方、全国紙の減紙が止まらないそうだ。毎年数十万部づつ減っているという。これから、ニュースを紙に刷って売るというビジネスモデルはなくなると言われている。新聞を「オワコン」と言う人もいる。オワコンとは「終わったコンテンツ」のことだ。

 だから、新聞はデジタルとの融合を進めているが、際立った成功例は聞かない。要するに苦戦しているわけだ。

 その点、地方紙は地元密着で生き残る余地がある。特に地域ごとの催し、スポーツ大会の詳報は欠かせない。本人や家族、知人が見るからである。そこに活路を見出し、さらにディープに地元に入っていく、そんな努力が地方紙を支えていることがよく分かる。

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