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令和元年、新天皇の御即位、まことにおめでとうございます。

令和元年、新天皇の御即位、まことにおめでとうございます。
そこで今回は、元号と天皇の詔(みことのり)のもつ意味について、考えてみたいと思います。

古事記を学ぶとわかるのですが、天照大御神のお言葉というのは、「〜したい」とか「〜しなさい」という希望や期待、あるいは命令を意味するものではありません。
天照大御神は最高神であり、最高神は時空間を超越した御存在ですから、そこで述べられたお言葉は、未来から見た結果や結論であって、期待とは異なるものです。

未来は未確定のものですが、それを確定されるのが最高神のお言葉です。
ですから、すこしわかりにくいかもしれませんが、たとえば天照大御神が「葦原の中つ国は、我が御子(みこ)の知(し)らす国ぞ」とおおせになれば、それはその時点における未来に様々な選択肢があるけれど、結果はそのようになる、ということでもあるのです。
時空を超越した神様のお言葉というのはそういうものです。これを詔(みことのり)といいます。

そして歴代の天皇は、その天照大御神の直系の御子孫として、天上の神々と直接つながるお役目です。
つまり天皇の詔というのは、実はそのまま未来を見通したお言葉ということになります。

その意味からすると、元号は、歴代天皇が決められて下々に示される暦の名であり詔ですから、つまりこれからはじまるその元号年間を一語で結論づけたものということになります。
ですから逆に言うと、その元号の年間が終わったあとにその時代を振り返ってみると、なるほどその時代に起きたことは、まさに元号が示したとおりであったことがわかります。

たとえば「明治」というのは、「明るく治(し)らす」と書きます。
「治らす」という言葉は、天皇、つまり神々のもとにすべての民が「大御宝(おほみたから)」とされることを意味します。
そこで明治を振り返ってみると、世界の有色人種たちが、五百年続いた欧米列強の植民地支配を受けていた中にあって、明治日本は開国し、日清日露を戦って世界に向けて有色人種であっても白人国と対等にたたかうことができるのだ、つまり有色人種も人間なのだということを、まさに世界に示した年間となりました。

そして次の元号の「大正」は「おおいなる正義」を意味する元号ですが、振り返ってみると、まさにその大正年間に、第一次世界大戦を戦い、その後に行われたパリ幸講和会議において、日本は世界に向けて堂々とかつ高らかに「人種の平等」を宣言した時代となりました。
これが「おおいなる正義」でなくて、他にどのような正義があるのでしょうか。

続く「昭和」は、「和を昭(あきら)かにする」です。「和」というのは、対等を意味する漢字ですが、まさにこの時代の日本は、大東亜を戦い、国土を焼土にしてまで激しい戦いを繰り広げることで、なんと五百年続いた欧米による世界の植民地支配を終わらせています。
有色人種たちは、白人たちから支配し収奪され続けるだけの生活から、ひとりひとりが自分や家族の幸せを求めて生きることができるように変化していきました。
まさに世界の諸国は肌の色の違いにかかわらず対等に生きることができることがあきらかになった時代となったのです。

「平成」は「平らかに成る」と書きます。
その平成年間を振り返りますと、世界の先進諸国が経済成長を遂げる中にあって、経済大国であるはずの日本だけがなぜか横ばいの経済となりました。
世界が右肩上がりに成長している中にあって、日本だけが横ばいということは、日本が世界に遅れをとったということであって、実質的な経済の衰退を意味するのだから、この平成年間は、失われた三十年なのだ、という人もいます。

ところがよくよく考えてみますと、経済成長というのは、目に見える財貨の成長と、もうひとつ、目に見えない成長があります。
居心地の良さとか、美味しさとか、環境の良さなどといったものは、表向きの財貨の経済数字としては出てきませんが、実は人々の生活の向上には欠かすことができないものです。

その目に見えない経済成長という面から、平成年間を振り返って見ますと、たしかに三十年前に七百五十円だった定食は、いまも同じ七百五十円ですけれど、中身の味の良さや店内の環境などは、三十年前とは段違いに進歩しています。
また自動車も、それぞれの車種ごとに三十年前の装備や性能といまのそれを比較すると、やはり今のほうが格段に良くなっている。

同じ三十年間に著しい成長を続けた国よりも、日本の方がはるかに住心地も居心地も良い。
平成日本はなんと、表向きの財の成長だけが人々の生活や生きることにとっての豊かさではない、むしろ平静の中にこそ人々の幸せや豊かさがあることを、世界に向けて証明して見せたと言えます。

同時にこの平成年間には、豊かさを享受しているはずの大国が、実はその内訳を見ると、国内の上位一%の人たちが、国内の富の五〇%を得ていることをも世界の中で明らかにしてしまいました。
この上位層と貧困層の割合は、なんとギリシャ・ローマ時代にあった国民の九五%が奴隷であり、上位の五%の人々の半分が女性であり、支配者である一%の人たちがその国の富を独占していた構造と、実はまったく同じものです。
現代は国民が主役の国民国家の時代と言われていますが、このような構造が本当に国民国家といえるものなのか。そんな問題提起がされるようになった時代でもありました。

さて、いよいよ今日から「令和」年間です。
令和は、「和(なご)み令(せ)しむ」年間です。
対等を意味する「和」であることが、神様からの命令なのです。
二〇世紀までの世界は、対立と闘争の世界でした。
けれど神々は「対立よりも和、闘争よりも結(ゆ)い」をお望みであることが示されました。

令和年間が、とても楽しみに思えるのですが、みなさんはいかがでしょうか。

お読みいただき、ありがとうございました。


「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/

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