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  • 堂本かおる
    堂本かおる
    ニューヨーク在住フリーランスライター
    菊田 均
    菊田 均
    文芸評論家
    松本 健一
    松本 健一
    評論家
    中岡 弘
    中岡 弘
    著述家
    大島 直行
    大島 直行
    伊達市噴火湾文化研究所長
    時広 真吾
    時広 真吾
    舞台演出家
    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    貧農史観というデタラメを斬る

    江戸時代の農民は、
    「四公六民」とか
    「五公五民」とかという
    過酷な年貢の取り立てを受けていて、相次ぐ自然災害と凶作、飢饉で貧困にあえいでいたというのが、いわゆる「貧農史観」と呼ばれるものです。

    教科書によっては、
    「そのために農民は、
     むしろ旗を押し立てて、
     百姓一揆や、打ちこわしをしていた」
    などと書いています。

    このため現代日本人はなんとなく
    「江戸時代の農民=いつでも死にそうなほど貧困にあえいでいた人々」
    といった漠然とした印象を持っています。

    しかし、もしそうであるならば、どうして村祭りができたのでしょうか。
    あるいは里神楽とか、農村歌舞伎のような、祭りの際の芸能が発達できたのでしょうか。

    お祭りでは御神輿を担いだり、地方によっては、屋台を引いたりします。
    また、お正月などには獅子舞が行われたりします。

    その御神輿や屋台や獅子舞の獅子は、たいてい金ピカに飾られています。
    いまでこそ、その飾りは真鍮(しんちゅう)のハリボテの偽物ですが、昔は、純金が使われていました。

    だいたい御神輿ひとつで、いまの価格で2千万円くらいです。
    誰がその資金を負担したのでしょうか。

    村の鎮守様の建物は、耐久年数が普通に100年位ありました。
    いまの建築物は25年〜35年です。
    50年経ったらボロボロです。
    古民家は、いまでもあちこちに飾られていますが、それらはいずれも200年近く経っていて、いまなお健在です。
    それだけの建築物を建てる費用は、どこの誰が負担したのでしょうか。

    いまではすっかり住宅街になっている土地も、ほんの数十年前までは田んぼや畑だったところです。
    その土地は誰が開墾したのでしょうか。
    河川の堤防も、いまある堤防の多くは江戸時代に築かれたものです。
    誰がそれを築いたのでしょうか。

    江戸時代までの農民は、ほんとうに貧しかったのでしょうか。

    江戸時代、伊勢神宮に参拝する人の数は、年間500万人に達したそうです。
    当時の人口が2500万人くらいです。
    つまり5人にひとりの割合で、全国規模でお伊勢参りが行われていたのです。
    毎年です。
    他にも、金毘羅参り、京都見物、温泉場での湯治なども盛んに行われていました。
    そういうことができるだけの経済力が、国民の9割を占める農家にはあったのです。

    そうした旅に出るとき、江戸時代の人々は、襟元に小判1両を縫い込むのが習慣でした。
    小判1両は、いまの6万円くらいに相当しますが、電気も携帯もなかった時代です。
    購買力からすれば、いまの10万円以上のお金になります。
    その小判は、もし旅先で万一のことがあったときは、そのお金で医療や、火葬、お骨の自宅への送付などをしてくれ、という、いわば礼儀です。
    どこが貧農なのでしょうか。

    そもそも士農工商という用語はもともとChina社会の用語です。
    日本の身分制の用語として開発された用語ではありません。
    むしろ我が国では、
     貴族
     武家
     農民
     町民
    に、
     寺社
    を加えたものが、実際の姿に近いといえます。

    この上に天子さまがおいでになります。
    それが「皇」です。
    貴族と武士は、昔で言う「臣」にあたります。
    農民・町民は「民」です。

    武士に、所領武士(給足)と俸禄武士(無足)がありました。
    これは貴族も同じで、貴族にも給足と無足がありました。
    所領を持って地域を管理監督し、所領内の天変地異を含むあらゆる事態に責任を持つのが「給足」です。
    土地や地域の管理権を持たず、所属長から俸禄をもらうだけの者が「無足」です。

    農民にも、土地を所有している地主と、地主から土地を借りて耕作している小作の区別がありました。
    税を収めるのは、地主だけの仕事です。
    小作は、地主に米や野菜などを収めました。
    町民は、商人、職人、ヤクザ、土方など、様々な職業に就く者たちです。

    税は農民の場合は、米で支払われました。
    それが「年貢」です。
    なぜ年貢が米なのかといえば、米は野菜と違って備蓄が可能だからです。

    収められたその年の年貢米は、貴族も武士も寺社も、当該年度に新米を食べることはできませんでした。
    新米は、常に2年分備蓄され、俸禄は、三年目の古古米で支払われました。
    これは当然のことです。
    なぜなら日本は、天然の災害が多い国だからです。
    万一の災害のために食料を備蓄しておかなければ、みんな飢えて死んでしまいます。

    こうして災害時に武士や貴族や寺社が、被災地の人たちに放出するのが、「お蔵米の放出」です。
    武士も貴族も寺社も、天然の災害が起これば、都度、知行地(知らすを行う地)の被災者たちの面倒をみるのです。

    農家では、年貢を収めるのは地主さんの役目です。
    その地主さんの多くは、庄屋さんとなっていました。
    庄屋さんたちは、そこそこ経済的に余裕があったので、明治に入って郵便制度ができあがったときに、街の郵便局となりました。

    いまでも、郵便局には、郵政省の地方機関としての大規模な郵便局と、全国各地にある小規模な簡易郵便局があります。
    簡易郵便局というのは、もともとその地域の庄屋さんの家に、郵便事業を国が委託したことが出発点となっています。
    仮にもし、農家がどこも貧農であったのなら、そのような国の大事を委ねることなどできない相談です。

    また、明治のはじめに学制が敷かれて、全国に小学校ができました。
    いまも続く古い小学校は、このときにできた小学校です。
    けれどもこのとき明治新政府が行ったことは、「学制を敷いたから小学校を作りなさい」という布告だけです。
    小学校のための敷地も校舎も教師を雇うのも、すべて、地域住民の手によって行われました。
    果たしていま、たとえば保育園が足りないからと、町内で保育園を作ることができるのでしょうか。
    あるいは大型マンションで、自治会が、マンション住民のための保育園から小中学校まで、グランド付きで築き、さらに教師を雇うことができるのでしょうか。
    悪いけれど、江戸時代の農家が貧農だというのなら、現代日本人の一般庶民は、極貧民です。

    なるほど年貢は、四公六民とか、五公五民といって、一見するとお米の出来高の大半が税として取られたかのように言われています。
    しかしそうすると、人口の1割に過ぎない税の徴収者側の人たち(貴族・武士・寺社)が、日本全体で生産されたお米の4〜5割を食べていたことになります。

    人口というのは、食料の供給できる範囲でしか生きることができません。
    そして江戸時代は鎖国ですから、日本国内の人口は、日本国内で生産された食料の範囲でしか生存できません。
    では人口の1割の人が、年貢の、つまり国内生産高の4割分のお米を食べていたのでしょうか。

    江戸時代の人口はおよそ2千500万人と言われています。
    そのうちの1割ということは(250万人)です。

    一方、人ひとりが一年間に食べるお米の量が、概算で1石(1俵=60kg)といわれています。
    日本は鎖国で海外からの食料の輸入をしていません。
    つまり国内で生産されたお米の量の分しか、日本は国内人口を養うことができません。

    ということは、日本全体の人口が2500万人なら、2500万石が、お米の国内生産量です。
    年間2500万石が生産され、そのうちの5割が税なら、1250万石です。
    その1200万石を、250万人の日本の武士・貴族・寺社が食べていたのでしょうか。
    武士であろうが貴族であろうが農民であろうが、人が1年に食べる量は変わりません。

    ならば日本は、余剰米を輸出していたのでしょうか。
    いやいやそんなことはありません。
    日本は鎖国しているのです。

    実に簡単な計算です。
    しかしツジツマが合いません。
    つまり、どこか話しにウソがあるということです。

    では実際にはどうだったのでしょうか。
    年貢徴収のもとになるのは、言うまでもなく「検地」です。
    検地台帳は、耕地の広さはもちろん、土地の質、陽当たりの善し悪しなどまで克明に記録され、一定区画の土地からどれだけの収穫が見込めるかが算出されています。
    その「検地」に基づいて年貢(税)が取り立てられます。

    当然、この「検地」は、毎年調査されていると思いきや、なんと江戸270年を平均して、ひとつの村につき「2回」しか行われていません。
    しかも新田開発したところでも、開発時点で「検地」が行われているのは一部だけです。
    幕府直轄地に至っては、豊臣秀吉の「太閤検地」以来、検地が行われていません。
    これが何を意味しているかというと、今でいうなら「会計監査」が270年間、まったく行われなかったということです。

    平和だった江戸時代に、農業技術は非常な進歩を遂げています。
    江戸中期以降の1ヘクタールあたりの米の収穫量は、現代とほとんど変わりがないところまで進歩しています。
    それだけでなく、養蚕や、小麦、大豆、大根などの他の生産物の収穫も、進みました。

    要するに、いまでいったら、明治初期の税率で、いまの所得税を計るようなものです。
    太閤検地の頃に定めた納税額で、いまの税金を納めているのです。
    ということは、実際には、脱税のし放題であったわけです。

    まじめなお代官は、これではいかんと検地を再施行しようとします。
    すると農民は既得権を侵害されることになるから力一杯抵抗します。
    まじめなお代官を「悪代官」と呼んでそしるわけです。

    お代官は、派遣された官僚です。
    民から不評が出ると、更迭の対象になります。
    こうしてまじめなお代官がいなくなると、民は脱税のし放題となる、というわけです。

    一方、武士や貴族、寺社の側は、知行地の人口が増えているのに、収入が変わりません。
    ということは、災害発生時に放出するお蔵米が、本来であれば2年分も蓄えてあれば、おおむね大丈夫なものが、実質的には半年分にもならないのです。
    当然、大規模災害等が発生すれば、お米が足りなくなります。
    すると、領民を助けるために、どこかからお米を借りて来なければなりません。
    こうして大名も貴族も、江戸時代の中期以降は、みんな借金まみれになってしまっています。

    一方、江戸時代の農村は、所得水準・教育水準とも非常に高く、農民出身の学者もたくさん出現しているし、武芸に秀でる者もいました。
    それだけ経済的に余裕があったから、そういうことができたのです。

    さらに、もうひとつ大事なこととして、
    「年貢は土地にかかる税であって、
     人にかかる税ではない」
    という点があります。
    年貢を払うのは、自分の土地を持って農業を営んでいる地主農民であって、圧倒的多数の小作農ではないのです。
    地主から土地を借りて耕作している小作人は、地主に小作料を納めるのであって、彼らに年貢を治める義務はありません。

    問題はその小作人です。
    これがやっかいなところです。
    地主の上には、そのあたり一体の土地を管理している領主(武士、貴族等)がいます。
    武家の場合ですと、武家の俸禄は家が単位です。
    給料は、現代のように、社員個人に支払われたのではなくて、その家に支払われたのです。

    ところが昔は子供がよく死にました。
    後継ぎがいなければ、その家は断絶になってしまいます。
    ですから家を保つためには、子をたくさんつくっておかなければなりません。
    そうしなければ、家督を継ぐ者がいなければ、簡単にお家断絶になってしまうからです。
    これは、今で言ったら会社倒産と同じことで、従業員一同(昔なら一族郎党)が、その日から路頭に迷うことになります。

    ところが家督を継げるのは、生き残って成人した長男だけです。
    長男が亡くなっていれば、次男が跡を継ぎます。
    これを長子相続制といいます。
    こうして長子が家を継ぐと、おおぜいいるその下の子供たちは、成人後、生活に困ってしまうことになります。
    収入の当てがないのです。
    好きな女性がいても、結婚すらできない。

    女の子なら、まだ他家に嫁ぐことができます。
    けれど男の子の場合、剣術が達者であったり、学問に優れていれば、剣術道場の師範になったり、寺子屋の師匠、大手私塾の学長となって身を立てることが可能ですが、なかなかそんなにできの良い子ばかりではないのです。
    もちろん、なかには幸運にも他家に養子に入って、その家を継ぐというケースもあります。
    けれど、世の中そうそう達者なものばかりではありません。

    するとどうなるかというと、剣術の腕もそこそこで、学問もそこそこでしかないような普通の武士の次男坊以下は、知行地の庄屋さんにお願いして、その土地で小作人として使ってもらうのです。
    農業をすれば、すくなくとも餓えて死ぬことはないし、そこそこの生活ができて、もちろん嫁さんももらうことができます。
    というわけで、実際には、庄屋さん(地主さん)のもとで、小作人になる領主の子が多かったのです。

    そうなると「武士が領主として年貢を取り立てる庄屋さんが使用している小作人は領主の実子である」というケースが多々発生することになります。
    だから一揆が起こったのです。

    一揆という言葉は、現代語訳したら「みんないっしょに心をあわせて」という意味の言葉です。
    現状に不条理がある。
    けれども、それが改善されない。
    ならば庄屋(地主)さんを通じて、そのことを領主に願い出なければならない。
    もちろん、領主の息子さんが小作人にいるのですから、
    「親父〜、ちょっと頼みがあるんだけどさ・・・。」
    と、話を持っていくことは可能です。

    しかしそれでは、その要望事項が、小作人衆みんなの共通の思いなのか、地主さんだけの思いなのか、特定の誰かの勝手な思い込みなのかがわかりません。
    だから、みんなで話し合って、こころをひとつ(一揆)にして、お代官様(つまり一部の小作人にとっては実父)にお願いにあがるのです。

    人が生きて生活していれば、必ず数々の問題が起こります。
    田んぼにゴミを捨てるな、
    畑の肥溜めを増やしたい。
    作柄を一部変更して、大根ではなく、桑の葉をつくりたい。
    作物を運ぶのに、道路を作りたい。
    いやいや、陸路を運ぶのでは荷物が重たくて仕方がないから、水路をひいて、船で作物を運びたいetc….

    それらのなかで、御代官様や領主の許可が必要なものがあれば、ひとりではなく受益者となるみんなで交渉する。
    そして実はここが大事なのですが、
    「受益者として交渉した全員が、
     その結果についても責任を持つ」
    これが普通の日本人の、責任についての考え方だったのです。

    このことは、いまでもあると思います。
    会社で、営業部のみんなが、どうしてもパソコンソフトを共有したい。
    けれどそのためには、会社にパソコンを買ってもらわなければならない。
    そのことを営業部のみんなの総意として取り決めたのなら、それによって営業成績を上げることも、営業部みんなの責任です。
    権利と責任の両立。
    これが日本的思考原理です。

    昨今では「百姓」という語も、差別用語にされています。
    誰が「差別だ」と言い出したのか知りませんが、無教養にもほどがあります。
    日本語で「百」というのは、文武百官という言葉があるように、「かぞえきれないくらいたくさんの」という意味があります。

    そしてその「かぞえきれないくらいたくさん」の「姓(名字)」をもらったのは、7世紀の大化の改新の公地公民にまでさかのぼります。
    そしてこのとき、天智天皇によって、
    「すべての土地は、漢字二文字で書き表すように」
    「すべての戸籍は、漢字二文字で書き表すように」
    とお達しがあったのです。
    だから日本人の姓や日本の地名は、ことごとく漢字二文字でできています。

    そしてこのときに、それこそ「かぞえきれないくらいたくさん」の姓が生まれました。
    そしてその姓は、「天皇にいただいた由緒ある、そして誇りある姓」なのです。
    その「かぞえきれないくらいたくさん」の、つまり「百」の「姓」を持つ者たちが、
    「木っ端役人何するものぞ!」
    と言って、みんなでこころをひとつに(一揆)したのが、「百姓一揆」なのです。

    これを差別用語だという人たちは、日本語の言葉の使い方を、まったくわかっていない。
    つまり、そういうことを言い出している人たちというのは、日本に国籍を持って日本語を話していて、日本人のような顔をしているけれど、実は日本人ではない人たちである、ということです。
    その日本人でない人たちが、自分たちのもといた祖国で白汀(奴隷)として差別されていたから、きっと日本人も同じだったに違いないと、勝手に思い込んで、政治運動をして、差別だと騒いでいるだけです。

    ちなみにその差別されていると騒ぎ立てている日本人のような顔をして実は日本人ではない人たちの多くが済州島出身だといわれています。
    朝鮮戦争が始まる前、済州島で北朝鮮の意向を受けた共産主義パルチザンが、島内で大暴れしました。
    殺人、略奪、強姦、火付け盗賊などありとあらゆる蛮行が行われました。

    韓国の初代大統領である李承晩は、これを鎮圧するために済州島に軍隊を派遣し、島内の人たちを手当たり次第、殺戮したといわれています。
    このとき、正規軍がやってくるという情報を聞いて、いち早く済州島から日本へ逃げてきたのが、まさに大暴れしていた共産主義パルチザンたちでした。

    当然のことですが、彼らは本国には帰れません。
    帰れば逮捕されるからです。
    ですから戦後の混乱期にあった日本にやってきて、名を変え、日本人になりすましたり、日本で共産主義による破壊活動を繰り広げました。

    当時の日本はGHQの支配下にあり、初期のGHQは、日本国内にいるKoreanに治外法権を認めていましたから、まさにパルチザンにとって、日本は天国であったわけです。
    そして日本国内で、ありとあらゆる非合法手段を使って彼らは財を築きました。
    そして日本の行政、司法、立法、教育、メディアなどあらゆる分野に介入したわけです。

    多くの日本の官僚さんや政治家さん、教育者の人たちが、そんなパルチザンによる日本破壊工作の手先として洗脳され、利用されてきました。
    そして悲しいことに、洗脳された日本人が、何の自覚もなく、日本の文化や歴史の破壊工作の片棒を担がされてきました。
    貧農史観や、百姓が差別用語だという主張をする人たちの背景には、そのような歴史があったりするわけです。

    そうそう。
    ちょっと前まで日本には、貧農史観を唱えるような人たちに向けた良い言葉がありました。
    「おととい来やがれ!」
    「幼稚園から勉強し直して来い!」
    です。
    根本的に間違っているのです。

    ※この記事は2010年3月の記事のリニューアルです。

    お読みいただき、ありがとうございました。


    「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
    http://nezu621.blog7.fc2.com/

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