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自分を責めるよりも尊い命に感謝して乗り越えたい流産の痛み

 妊娠、出産を経験すると、生命の誕生の神秘に触れ感動するものです。しかし、育児となってくると小さいながらも生命力にあふれ、元気いっぱいな姿に翻弄されてしまい、感動が薄れていくものだなと2歳になった娘を見ながら思うようになりました。ある経験を通して、そう思っていた自分を恥じ、娘がこうして何事もなく元気に毎日過ごせていることは当たり前ではないと気づかされました。

妊娠8週目で胎児が見えない

 今年の1月、年が明けてすぐに我が家にはめでたいことが起きました。2人目の妊娠が分かったのです。正直予期していない妊娠だったので驚きと不安の方が先立ってしまいましたが、産婦人科で診断を受けて小さな胎嚢が確認できたのを見て妊娠の実感が湧き、徐々に嬉しさが募っていきました。2人目は男の子が良いかな、でも女の子2人もいいかな、などと主人と話したりして、年内に生まれてくることを色々と考えていました。

 2月に入ってすぐ妊婦健診に行きました。前回産婦人科に行った際に先生から、次来るときは赤ちゃんが見えていると思いますと言われていたので、エコー写真をもらうのを楽しみにしていました。ところが、妊娠8週目なのに、もらったエコー写真には胎嚢しか写っておらず、胎児の姿はどこにも見当たりませんでした。赤ちゃんはどこ? そう思っていると先生から予想もしていなかった診断が下されました。

 「妊娠8週目ですと胎児の姿が必ず映るはずなんです。それに、胎嚢ももっと大きくなっているはずなんですが、それが見られないので、残念ですが今回は流産ということになります」

 流産という言葉がすぐには信じられず、言葉の意味を理解することもできませんでした。先生から流産についての説明や、今後どのようにすべきかの説明を受けながら、ようやく理解が追いつき、赤ちゃんにはもう会えない、「死」という単語で頭いっぱいになり、堪え切れずに涙が溢れてきました。主人も一緒に来ていたので先生の話を聞いてもらい、今後は自然に胎盤が出てくるのを待つか、手術をするか決めなければならないこと、どちらの選択にもメリットとデメリットがあるという説明を受けました。

 しかし、その時はその場で選択をすることができず、後日決めて連絡をするということになりました。流産は妊婦の10~15%に起こり得ることで、決して少ない確率ではないと先生から説明されましたが、まさか流産をするなど思ってもいなかったのでショックが大きかったです。

 待合室で会計を待っている間も涙が止まらず、看護師さんが気を遣って下さって別室に連れて行ってもらって、15分程ひとりで泣き続け、会計をしてもらいました。帰りの車の中でも涙は止まらず、生まれることのできなかった命への申し訳なさでいっぱいでした。先生の説明では、この時期の流産は母体のせいというよりは胎児の問題の方が大きい可能性が高く、はっきりとした原因が分からないので防ぎようがないということでしたが、その時の自分には気休めにしかならず、あの時腹部に力を入れ過ぎたのがいけなかったのか、もっと安静にしていれば良かったなど、後悔することばかりで、自分のせいで産んであげられなかったと自分を責め続けました。

 家に帰ってしばらくしてから落ち着き、義父母や実家の両親にも伝えました。夫もショックを受けているようでしたが、まだ胎児の姿も見ていなかったためか実感があまりないような感じでした。苦しみ、辛さを分かってほしいけど、言葉にできないので落ち着いてもまたしばらくして涙が出てくるのを繰り返すばかりでした。どうやったらこの苦しみから解放されるのか、解放されていいのかも分からず、その日は夜眠れませんでした。

流産の苦しさから救ってくれた母の言葉

 それでも早めに手術をするか、自然に胎盤が出るのを待つか決めなくてはいけなかったので、産婦人科の看護師をしていた実家の母にどうする方がいいか、電話をして聞いてみました。自然に待っていると腹痛も酷くなることがあり、胎盤が全部出ていないと手術をすることもあるということは先生から聞いていたのですが、母も同じことを言っており、手術をした方が安全ではあるということで、手術をすることに決めました。

 母から「流産はショックが大きいかもしれないけど、誰が悪いってことはないんだから。神様からの授かりものが天に還るっていうことは、何か意味があることだよ。あなたたちの家庭を守ってくれようとしたとか。それぐらい尊い命だったんだよ」と言われ、妊娠が予期しない時期だったということもあり、そうなのかもしれないと思いました。何か大きな目的のためにお腹に宿って、使命を果たすために天に還っていったのかもしれない。そう考えると苦しさがすっと消え、尊い命が宿っていたことに感謝する気持ちが湧いてきました。辛いことがあると時ほど感謝をして乗り越えていくと、小さい頃から教えられ、これまでの人生でも実感していました。今回のことをどのように感謝すべきか分からなかったので苦しかったということがまず分かり、感謝の方法も分かったのでひとまず苦しさから解放され、前向きな気持ちで手術に向かうことができました。

 また、母から「1人目の子供が無事に元気に成長していることは奇跡だって思うでしょ」と言われ、確かにその通りだと頷かされました。育児に追われていると元気すぎる姿にまいってしまうことも多々あるのですが、それは当たり前のことではない、奇跡だと今では実感しています。実際に流産と診断されて落ち込んでいても、いつもと変わらず元気に動き回る娘の姿に救われていました。家の中が暗くならずにすんだのは娘のおかげです。

 手術の日は特に痛みもなく麻酔をして15分程度の簡単なものだと分かっていても緊張して体が強張っていました。麻酔は痛かったですが、眠気がきて起こされたら手術は終わっており、麻酔が抜けるまで2時間ほど別室で横になっていました。ぼうっとしていた頭が徐々にすっきりしてくると、もうお腹の中には何も残っていないんだなと感じられ、虚しさで頬につーと涙が伝っていきました。娘を帝王切開で産んで目が覚めた時痛みはありましたが達成感があり、今後の希望もあったのでゆっくり体を休めることができました。しかし、今回は妊娠していたことがなかったことになり、お腹に残っていた妊娠した証もなくなり、これで本当にお別れしたんだという実感が湧いてきて薄れていた悲しさが急激に戻ってきました。それでも母から言われたことを思い浮かべ、悲しみを耐えることができました。

 手術は無事終わり、術後の健診でも問題ないということが分かったので、3月になってようやく次の妊娠のことを前向きに考えることができるようになりました。とはいえ、流産と診断された時のことを今思い出しても泣きそうになりますが、自分と同じ経験をした妊婦さんは決して少なくないと思うので、私自身の経験をこうしてコラムに残して共有したいと思いました。

 辛い苦しい気持ちは体験した人しか分からないものです。私よりもっと苦しい体験をしている人もいるかもしれません。自分の腕で抱きしめてあげることができなかったとはいえ、お腹の中に宿ってくれたことは奇跡で、流産となったことは無意味なことではなかったと思います。感謝で乗り越えるのは簡単なことではないでしょう。私自身まだ完全に感謝しきれていない部分もありますが、それでも自分を恨んで責めるより、お腹に宿ってくれたことに感謝して、尊い命だったことに感謝して、神様の元へ還れたことに感謝して辛い気持ちを消化させていきたいと思っています。

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