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地方×複業の可能性と限界(後編)

 前編では、地方×複業の可能性として、「地域への愛着や、目の前の人への貢献が、豊かさを向上させる」ということについて書きました。後編では、地方×複業の限界について記述していきたいと思います。

「貨幣を使わない誰かのためになる、地域のためになる活動」について

 それでは早速「限界」について記述していきます。それは、「貨幣を使わない誰かのためになる、地域のためになる活動」には関わりづらいということです。(この言葉だけではボランティア活動のように思われるかもしれませんが、実際ここで僕がお伝えしたいのは、「頼母子講」の考え方や「伝統の継承」のようなものです)

 たとえ、足繁く通って顔見知りとなり、お祭りの手伝いをさせてもらえるにしても、あくまで「お手伝いさん」の域から抜け出すことはできません。

 そして住むことでしか得られない豊かさはこの「貨幣を使わない誰かのためになる、地域のためになる活動」の部分にあります。ボランティアでの消防団活動や地域総出の草刈り活動。多世代のつながりを感じながら自分の周りに誰が住んでいるか分かることは日々の安心感につながります。100年以上続く伝統的なお祭りで役をもらうということは、自分もこの町の伝統のバトンを握らせてもらい、そして後世に託して行くという長い歴史の中での自分の存在価値も感じることができます。これらのことは住民とならないと感じられない豊かさなのだろうと思います。

長年続く伝統芸能。移住者の僕も役をもらって梯子に登りました。

長年続く伝統芸能。移住者の僕も役をもらって梯子に登りました。

結局は、それぞれの豊かさ

 ではどちらの方がいいのか?という話になりそうですが、究極はそれぞれの豊かさによるのだと思います。高度経済成長を得て、先人たちのおかげで私たちの世代は「自分らしい豊かさ」を生きることができる世代となりました。「どうやって明日を生きるか」に悩む必要はなくなり、「どう生きるか」を考える時代となりました。つまり、「自分にとっての豊かさ」を定義することが大切であるということでもあります。その中で、住む場所によって享受できる豊かさは違いがあるので(それがこの記事でお伝えしようと試みた、可能性と限界になります)、自分自身にとっての豊かさを最大限に享受できる場所で、最大限に幸せを感じられる人たちとともに、最大限に幸せを作れる仕事をすることがいいのだと思います。

じいちゃんばあちゃんに囲まれて育つわが子たち

じいちゃんばあちゃんに囲まれて育つわが子たち

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