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この世には、確かに、特別な人がいる

この世には、確かに、特別な人がいる。

 野球界なら、長嶋茂雄。
 歌謡界なら、北島三郎。
 テニス界なら、大坂なおみ。

 全豪オープン初優勝にして、世界ランキング1位、おめでとう。

 ところで、そのように群を抜いた人が全体の0.1%だとすれば、残る99.9%は特別な人ではない。

 大坂なおみが全豪オープンの決勝戦に出れば、99.9%の特別でない人たちはテレビでそれを観戦しながら、接戦が続けばハラハラし、接戦を制して優勝すれば、まるで我がことのように祝杯を挙げる。

 大坂なおみが世界ランキング1位に登り詰めるまでのプロセスでどんな体験をしたのか、優勝戦に臨んでどれほどの緊張感を味わっていたのか。また、優勝トロフィーを手にした時の喜びがどのようなものであったのか。

 そのような特別の感覚を特別でない人たちは体験もできないで、「特別な人は、すごいなあ」と感嘆するだけです。

 しかし実際、特別な人は0.1%だけなのか。99.9%の人は何ら特別ではない、見栄えも音感も運動能力も平凡で、多くの人から注目されることもなく、ただ大衆の1人として生きて死ぬだけなのでしょうか。

 特別な人というのは、ある意味で、「あの人は特別な人だ」と多くの人が感じる人のことだとも言えます。

 だから逆に言えば、大坂なおみを誰1人特別だと感じなければ、彼女はまったく特別な人ではない。

 「小さなボールを網で弾いて、何の役に立つんだ」とみんなが思えば、ただ子どもの遊びに興じる21歳の女の子に過ぎません。

 特別な人というのは、自分自身がそう思うだけではなれない。誰か他の人が私のことを「特別だ」と思ってくれてこそ、特別な人になれるのです。

 その意味で、例えば人類の聖人イエス・キリストも生前はさほど特別な人ではなかった。十字架で亡くなった後、多くの人が特別な人だと信じるようになって特別な人になったのです。

 この方は、「再び戻ってくるときには、雲に乗ってくる」と予言されました。

 雲とは「戻って来られたイエス様を再臨主と信じる信仰者たち」を象徴しているとも見ることができます。

 再臨主も1人では来れない。彼を「特別だ」と信じる雲に乗って来る必要があるのです。

 このように考えると、特別な人ではないと自認している「私」のことを「あなたも特別な人だ」と感じてくれる人が1人でもいれば、私もその人にとっては「特別な人」になるでしょう。

 客観的に見れば、私には何かこれと言って飛び抜けた才能はない。しかし、平凡な大衆の1人として埋没したくはない。何か「特別なもの」を持っていると自認したいし、「特別な人」として生きたい。誰でも、そういう欲望を持っていることを否定できないでしょう。

 そのような1人が(あるいは2人でも10人でも)、私にはいるでしょうか。既婚者なら、まずは配偶者がそのような1人になってくれるでしょうか。

 「あなたのこういうところは、他の人にはない素晴らしいもの。私にとっては、あなたは特別な人」と言ってもらえるだろうか。

 子どもがいれば、彼らはどうでしょうか。「お父さんが僕にしてくれたあのことは、永遠に忘れない。感謝だ」と言ってくれるようなことがあるだろうか。

 もしそのような人が身近に1人でもいるなら、私は全豪オープンで優勝はとてもできないが、優勝する以上の「特別なもの」を私は持っていると、言えなくはない。

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