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体操界の騒ぎに思うこと~18歳女の子と自分を叩く男性の関係

 昭和時代には体育だけでなく多くの人々が暴力を受けていました。彼らは、暴力の被害者だけでなく、暴力の加害者でもありました。暴力が存在したのは、学校の勉強でも、企業の仕事でも、さらには官公庁の内部にまでもあったのです。そして、暴力を行う者は、必ずしも被害者に悪意を有しているだけではなく、被害者と相互な関係になっている場合もありました。しかし、このような「暴力をベースにした相互依存」は、平成になって小さくなっていきました。それが「暴力はすべて悪」という建前に代わって、それがますます大きくなり、ついには100%になってしまいました。

 そんな時に出てきたのが日本体操の問題です。被害者は18歳の宮川紗江選手で、暴力を振るったのは速見佑斗コーチでした。速見氏は8月20日、処分を不服として東京地裁に仮処分を申し立てましたが、31日に取り下げ。同日に「自分自身が行った暴力件行為に真摯に向き合いたい」と謝罪文も発表して、話が終わるはずでした。

ところが、宮川氏がご自身の考えを明らかにしたところ、速見氏は宮川氏に対して「多少はあったとしても、それは『暴力』ではない。むしろ、塚原強化本部長こそが体罰を行っている。その上『私とコーチを引き離そうとした』『権力を使った暴力』『パワハラだと思う』」と主張したのです。

 でも、宮川さんの主張は、実は誰も公にはできない考えでした。なぜなら、彼女の主張は「暴力の根底に愛がある場合、適度ならば気持ち良い」という考えだからです。暴力が実は他の意味を有する場合、世界的に見てもそれは不思議な話ではありません。発展途上国においてはもちろん、先進国においても男女の中では、相応に「暴力的な性」を喜ぶ人は皆無ではありません。男性が女性に暴力を与えるだけでなく、またその逆もあれば、複数での性を喜ぶものもあるのでしょう。

 もちろん、こちらも建前としては「暴力」は不正ですが、相手が暴力を受ける事が好きである、すなわちマゾということにすれば、一転、他者が暴力を振るってもそれを「良し」とされてしまうのです。

 そりゃ宮川さんは自分のことをマゾとは思っていないのでしょう。でも自分をしっかりと指導してくれた速見氏の暴力だけが、嬉しかったのかもしれません。実は、性の経験のない女性が、愛情と暴力が不可分になっている男性を好きになるというのは、昭和時代には珍しい話ではありませんでした。現代では少数派でしょうが、愛情と暴力が不可分な男性に女性が心を寄せる姿はゼロではないと思います。

 もちろん、塚原夫婦の「権力」に対して、他者がこれを機に騒ぎだしました。これは、大切なことだとは思います。18歳の女の子が自らを殴る男性に心を満たしまた。その問題と塚原夫婦の問題は、別ではないか?と部外者の私は思うのですが、どうでしょう。

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