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パルムドール受賞の「万引き家族」は、まるで北朝鮮政府の言い分のよう!

 こんにちは、中国人マンガ家の孫向文です。

 最近ニュースにもなったカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞した「万引き家族」を観賞してきました。映画の最後のクレジットに「是枝裕和監督原案、監督、脚本、編集」とあり、さらに「文化庁の助成金」とちゃんと書いてありました。つまり、この映画は国民の税金である文化庁の助成金を使い、是枝総監督の完全なる個人的メッセージを伝える映画だったのです。

 以下は、今回映画を観て、僕自身の私的な感想であることをお断りしておきます。

 まずはざっくりと内容を紹介しましょう。
 冒頭部分で、主人公であるリリー・フランキーさんが演じる柴田治が、城桧吏さん演じる「息子」役の祥太に、スーパーで食材と生活用品を万引きするように命じます。そして、柴田治(以下は役名)は店員の視線を塞ぎ、祥太がやりやすいように協力します。そして、夕方に隣のマンションの階段に一人ぽっちでいた女の子を見つけ、そのまま家に連れて帰りました。普通ならば完全に「幼女誘拐」という犯罪です。
 万引きと児童誘拐、さらにその後は、衝撃な描写で観客を誘導する「キワドイ」描写で、始まります。

 次は家族の様子が描かれていて、年金受給者の樹木希林さんは「祖母」役。安藤サクラさんが演じる「母」は、かつて元夫からDVを受けて、柴田治と共謀して元夫を殺害し、名を偽って暮らす。松岡茉優さんは、元家族と関係が悪く、家出した少女で、「母の妹」役。「息子」役の城桧吏君は、赤ちゃんの頃、実の親に捨てられ、廃車に置き去りに。実の親から虐待を受けた佐々木みゆさんが演じる「娘」。

 こんな同情に値する社会に捨てさられた「訳あり」の人たちが集まって、戸籍登録すらしていない「偽装家族」の物語です。

 PV動画の紹介には「万引きという家業」と言っても、実はそれぞれ仕事があります。非正規雇用のクリーニング店の母、建築現場で体力労働の父、そしてJKリフレという風俗店で働く母の妹……作品に主に伝えたい日本の社会問題は、窃盗、年金詐欺、ゴミ屋敷、誘拐、育児放棄、DV、児童虐待、死体遺棄等々。確かに、「美しい日本」ばかりを描くのではなく、「日本の闇」の部分を描く作品があってもいいでしょう。

 しかし……今回は敢えて、是枝監督の表現にいくつかの問題を指摘してみたいと思います。

とにかく汚い日本人像!

 祖母は、ご飯を食べながら、爪を切る。足裏を触ったあとに、また茶碗を持つ。切った爪は、あちこちに散らかし、それだけでなく、みかんの皮はいつも部屋に散らかってる。
 母はラムネを飲んだあとに思い切りゲップをする、その下品な振る舞いを息子にみ見せつける。
 食事のシーンでは特に、グチャッグチャッという音と、麺類を啜るズルズル音が大きくくて、食べ方があまりにも汚い。
 父と息子がスーパーで歩きながら、支払いもせずに、みかんを盗み喰い。
 風呂を上がったら、体を拭かずに歩き回る父、当然ながら床が濡れる。
 ちゃぶ台で片膝を立てながら食べる数人。
 素麺を食べていたかと思うと、いきなりセックスはじめる父と母、素麺がちゃぶ台に散らかる。セックスの最中、母の背中に麺が付いてる。

 飲食店で、祖母が自分の食べてる団子を孫娘の洋食のデザードの食器に入れる。祖母は口に入れた団子もう一回吐き出す。
 母はトウモロコシを食べながら、歯に付いたトウモロコシを指でほじる。
 それ以外に、風呂と汚れでいっぱいの壁。これではまるで「公衆便所」のようです。
 僕は映画を観た後で、この「汚い日本人像」が強烈に脳裏に残ってしまいました。

 是枝監督はなぜ以上のような描写をして「食べ方の汚い日本人」を作品の全体に散らばらせたのでしょうか? 監督の意図は、「こんな特殊な環境で暮らしているから、こんな汚い人たちになってしまった」と、出演者をそのように描いているのかもしれませんが、日本の美徳として「武士は食わねど高楊枝」という精神がありますよね? 例え落ちぶれて貧乏でも、こんな汚い生き方はないのではないでしょうか!? これは明らかに日本人の価値観と食い違う部分だと感じました。主人公とその家族は厳しい環境の中で生活しながらも、“清く正しく美しく”頑張って生きようとする気がまるで無しです。思い切り自暴自棄で自己完結の姿勢しか感じられませんでした。

価値観は歪んでる万引き家族の人々を見る第三者目線の欠如

 僕自身、この映画に感情移入しづらかった為、僕は一度も「泣きそう」になることはありませんでした。

 例えば、このシーン、

 駐車場で父は車のガラスを割って車内のバッグ(女子高生のものに見える)を奪って逃走。バッグに付いてるピンク色のストラップやぬいぐるみを力に任せてちぎって捨ててしまう。

 これではただの窃盗犯罪です。バッグの持ち主は一体誰なのか?という目線で見ると、自分のバッグの中に貴重品や、大事な証明書類があり、思い出の大事なもを失ってしまったようで、怒りがこみあげて、断じて許さない犯罪行為だと感じました。

 それ以外にも、親子が複数回、窃盗に成功した後で必ず拳でハイタッチするという「万引きで生まれた絆」の表現があり、残念ながらこれは「絆」じゃなくて、ただの「共犯関係」に過ぎません。
 松岡茉優さんが演じる娘はJKリフレで働いてるわけですが、いつも女子高生のコスプレしながら、鏡の向こうの男たちに下半身とおっぱいを見せつけて、卑猥に腰を振っています。そこの常連客の男はコミュニケーション障害で、JKリフレで性欲を発散するしかない「素人童貞」男なわけです。彼女は自分に執着する「コミュ障男」に感動して、思わず抱きしめてしまいます。風俗に通わない真面目な男性という第三者目線から見ると、例え、彼女は実の両親との関係が悪化して家出した女の子であったとしても、もう少しまっともな男性と付き合うことが可能だったのではないでしょうか!?

 「幼女誘拐という形の保護」だと主張する柴田家、実の親から「体の虐待」をされた女の子を保護する柴田治が、女の子に万引きをさせる、女の子が自分のやったことがいけないと「心の葛藤をしてる」という演出があるにもかかわらず、万引きをさせ続ける柴田治は、同様に女の子に「心の虐待」しているわけです。児童相談所という「第三者目線」から見れば、まさしく、実の親から受けていた体への虐待と大差はないのではないでしょうか!?

 母は西松屋という子供服の店で、娘にかわいい洋服を買ってあげるのではなく、子供服を試着室で娘に着せて、そのまま万引きさてしまいます。それが「家族の愛」だと、西松屋という第三者目線から見て、納得できる表現ではありませんよね!?

 家族全員は複数の偽名を使い分けています。それは国家が管轄する「戸籍制度」から逃げるためです。これではまるで在日外国人の特有の「通名制度」のような考えにすぎません。さらに言えば、左派層が主張する「日本の戸籍制度を廃止しろ」とも一致してます。これは例え、犯罪事件が発生した時、警察という第三者目線から見ると、戸籍が無いことが原因で、捜査に支障が出てしまいます。

 息子はこんな「窃盗生活」が嫌になり、ようやく児童養護施設に入れるとなった時、父の柴田治とは2度と会えないと分かりました。そのとき彼は「やっぱり血の繋がりのない父はダメか」と嘆きました、日本の法律では合法の養子縁組はまったく問題ありません。しかし、こんな犯罪者との“養子縁組”だけは許されないことです。つまり、自分の犯罪を逸れて、日本の「血縁社会制度」を闇に葬ることになりかねません。これは児童養護施設という第三者目線から見ると、子供が犯罪グループから保護されたことで良かったです。

 以上の表現が、なぜ「共感できなかった」かというと、この万引き家族の異常行為は、第三の選択肢を完全に無視しながら、第三者目線から客観視してないため、あくまでも是枝監督は主人公に注ぐ主観的に感情描写に過ぎません。この映画を観て全体的な思想は、「国家権力が人を裁く理由が勝手すぎる。万引きは生活のため、誘拐は児童保護のため、死体遺棄は戸籍制度の存在が悪いから、家族の絆を維持するため、金銭が悪、権力者は悪」という左派層の「無政府主義」である反権力思想そのものにしか見えませんでした。

実は共産主義丸出しの作品…
 この映画を観ていて、感動した、泣きそうだった、というシーンや名ゼリフは一つもありませんでした。視覚的な衝撃だけの後味の悪い映画でした。『世にも奇妙な物語』という娯楽的なジャンルとして見るのはいいですが、この映画が、権威あるカンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞して、上から目線で日本社会の問題を説教するような作品ではありませんでした。

 結局、作品のテーマは、「血の繋がりのない養育の親に感謝するべき」ということなのでしょうが、この映画が、果たして文化庁の助成金を貰ってまで作る価値のある映画だったのでしょうか? 是枝裕和監督は、自らの映画製作に協力してくれた「血の繋がっていない親」である文化庁と日本政府に対して、「権力と距離を置く」と言い捨てて、感謝してないようです。さらに「我々の窃盗行為と他人の子を拉致で家族の絆を結んでいる方が、裕福で愛のない家族より幸せだ。世界一幸せなんだ」と言わんばかりですが、これではまるで北朝鮮の言い分としか思えません。まさしく是枝監督自身が共産主義思想を丸出しにしたの作品だとしか思えません。

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