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古代の日本人の知恵「隠身」とは

古事記は、「この世のすべても、あの世のすべても、過去も現在も未来も、それらすべては創生の神々の胎内にある」ということを、「隠身」という語を三度も繰り返して説いています。
これはすごいことです。

古事記の冒頭中の冒頭には、はじめに時空間の中心を意味する天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が登場されたあと、むすびを意味する高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)が現れ、そのあと続いて宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかひこぢのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)、国之常立(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよくものかみ)が成られたと書かれています。

これら7柱の神様は、いずれもイザナキ、イザナミといった男女神が現れるよりも前の性別のない神様として描かれているのですが、実はここにたいへん不思議な記述があります。
それは上の7柱の神様が、いずれも「隠身也(身を隠しましき)」と、それぞれについて逐一書いていることです。

これは、よく時代劇などで不思議なことを言われたときに、「これは異(い)なことを申される」なんてセリフがありますが、まさに不思議なことなのです。
基本的に漢文の記述では、同じ言葉を繰り返して用いないというのが原則です。
ですから二度繰り返してあれば、それはかなり強調していることになりますし、三度繰り返していたら、それはもう、ものすごくとっても大事なことを書いていることになります。

たとえば天照大御神、月読神、須佐之男命がお生まれになったときに、イザナキ大神がそれぞれに「知(シラセ)」と繰り返して述べていますが、そこで三度繰り返した「シラス」という言葉は、古事記を通底し、かつ我が国の天皇の意味を説明するきわめて重要な言葉であることが確認されています。

ところが古事記の冒頭には「隠身」という字が、創生の7柱の神様を紹介するにあたって、ここでも三度繰り返して用いられているのです。

<原文>
天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻、下効此、次高御産巣日神、次神産巣日神。
此三柱神者、並独神成坐而、隠身也。
次、国稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時流字以上十字以音、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遅神此神名以音、次天之常立神訓常云登許、訓立云多知。
此二柱神亦、並独神成坐而、隠身也。
上件五柱神者、別天神。
次成神名、国之常立神訓常立亦如上、次豊雲上野神。
此二柱神亦、独神成坐而、隠身也。

ということはつまり「隠身(身を隠す)」という記述には、何か途方もなく大切な何かが込められているということです。

古事記は、大和言葉を漢字を用いて、その意味が失われないように書いたものです。
ここで使われている「隠」という字は、旧字が「隱」で、これは
 <へ ん> 阝(こざとへん)=段の着いた土山・丘
 <つくり> 工具を手で覆う、心臓を手で覆う
という構造を持った象形文字を組み合わせた(会意)文字です。
そこから「心を込めてたいせつなものをかくす」という意味が持たれるようになりました。
たいせつなもの(心臓)を、工具まで用いて手でおおうのです。

そして覆ったのは、創生の神々であり、すべての創生神です。
そのすべての創生の神々が、その「すべて」を、みずからの心臓のように大切に手でおおったのです。
つまり、すべてのはじまりの神様が、そのすべてを大切なものとして手でおおったということを「隠」という字で表したことになります。

さらに「身」という漢字です。
この字は、もともとの人が身ごもったこと、つまり胎内に子を宿している象形です。

ということは「隠身」は、創生の神々が、創生のすべてを手や道具でおおっただけでなく、みずからの胎内に入れたという意味になります。

つまり古事記の世界観(宇宙観)をすこし表現を変えて述べると、

1 すべてのはじまりを意味する天之御中主之神と、そのすべてのむすび(産巣日)の神である高御産巣日神、神産巣日神が、そのすべてを神々の胎内に入れた(隠身)。

2 次に水に浮かぶ油のような宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかひこぢのかみ)(おそらく小宇宙のこと)と、天に常に立つ神である天之常立神(あめのとこたちのかみ)(おそらくすべての恒星のこと)も、創生の神々の胎内に入れた(隠身)。

3 次に国之常立神(くにのとこたちのかみ)(クニというのは我々が認識できるすべての範囲)、豊雲野神(とよくものかみ)(おそらく宇宙空間のあらゆる浮遊体)のすべても神々の胎内に入れた(隠身)。

と、このように述べていることになります。

これがどういうことなのかとひとことでいうと、
「この世のすべても、
 あの世のすべても、
 過去も現在も未来も、
 それらすべては
 創生の神々の胎内にある
ということです。
古事記はそのことを大事なこととして述べるために、「隠身」という語を三度も繰り返しているのです。

そして・・・
このことが意味することは、すごいです。
空も海も野も山も草木も動物も、みんな神々の胎内で暮らしているのです。
当然、人も神々の胎内で暮らしていることになります。

ということは、古事記は、
「創造主がいて、私達がいる」
という、神と人とを二項対立的なものとして描いているのではなくて、
「創造主の中に我々がいる」
別な言い方をするならば、創造主といういわば母親の胎内に私達の住む全宇宙の時空間があり、私達はその一部であるという理解をしていることになります。

だからこそ、古事記はすべてのことは神々の神意(みこころ)のまにまに、つまり「諸命以(もろもろのみこともちて)」と説いているわけです。
これは人体に例えれば、私達はその細胞です。
その細胞のひとつが「諸命(もろもろのみこと)」に逆らって、自己の利益だけを図り、周囲の細胞から栄養分を奪い取るようになったらどうなるか。
私達はそれを癌細胞と呼んでいるのではないでしょうか。

正しい生き方というのは、それぞれの細胞が周囲と和して力いっぱい生き抜くこと。
ひとつひとつの細胞が健康で、どの細胞も健康なら、人体(神様)も健康です。
細胞が嬉しくて活き活きと輝けば、神様も輝きます。
私達にとって嬉しいことは、神々にとってもうれしいことだし、悲しい出来事は、神々にとっても悲しい出来事です。

お天道さまというのは、天照大御神ですが、いつでもどこでもお天道さまが見ていらっしゃるというのは、古くから言い慣らされた言葉ですが、実はその意味は、神様という別な存在あって、その別な存在が私達を見ているということではなくて、私達自身が、神様の胎内にあるということですから、もうぜんぶまるわかりになっている、ということです。

悪いことをするということは、神様の胎内で癌細胞をつくるようなものです。
それを神々が喜ばれるなんていうことは、絶対にないということは、むしろあたりまえすぎるくらいあたりまえのことと理解できます。

では良いこととは何かといえば、胎内にある私達が健康でスクスクと育つこと。
自分の役割を認識して、その役割をしっかりと担って生きること。

そういうもろもろの知恵を、古事記は「隠身」という一語で示しているのです。
いやはや、古代の日本人の知恵って、すごいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。


「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/

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