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  • 堂本かおる
    堂本かおる
    ニューヨーク在住フリーランスライター
    菊田 均
    菊田 均
    文芸評論家
    松本 健一
    松本 健一
    評論家
    中岡 弘
    中岡 弘
    著述家
    大島 直行
    大島 直行
    伊達市噴火湾文化研究所長
    時広 真吾
    時広 真吾
    舞台演出家
    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    今日はひめゆり学徒隊が解散した日

    沖縄のひめゆり学徒隊のように、女子高生がふたたび同じ悲哀を味わうようなことがあっては絶対になりません。
    そのための責任は、いまを生きる私達にあります。
    しかし現代日本は、また別な形で未成年の女子たちが受難の時代になっているともいわれています。
    このままで良いのでしょうか。

    私達ひとりひとりにできることは小さいかもしれないけれど、二度と再び未成年の女の子たちに悲惨を与えてはならない。
    それこそ今を生きる大人たちが解決しなければならない事柄です。
    少なくとも、女生徒たちに「お前たちは生き残るのだ」と言って死んでいった我軍の兵士たちのうほうが、悲惨を見ても何もしないでいる現代日本人よりも、何十倍も真人間だったといえるのではないでしょうか。

    6月18日は、沖縄戦で、ひめゆり学徒隊が解散となった日です。
    いまからたったの73年前、昭和20年の出来事です。
    トップの画像は、美しく咲くヒメユリです。
    お亡くなりになった彼女たちの仲間たち全員の御魂に、ひめゆりを捧げたいと思います。

    ひめゆり学徒隊は、沖縄戦で看護婦として前線に立ち、その悲劇を描いた映画『ひめゆりの塔』が大ヒットとなりました。それが昭和28(1953)年のことです。
    津島恵子さん主演で、当時倒産の危機にあった東映の経営を一挙に好転させた映画としても知られています。
    あまりのヒットから、昭和43(1968)年には、吉永小百合主演のリメイク版『あゝひめゆりの塔』が公開され、平成7(1995)年にも沢口靖子さん主演で映画化されました。

    このとき動員された女学生(いまでいう女子高生)は、ひめゆり学徒隊だけではありません。
    他にも
     白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)
     ずゐせん学徒隊(県立首里高女)
     積徳学徒隊(私立積徳高女)
     梯梧学徒隊(私立昭和高女)
     なごらん学徒隊(県立第三高女)
    などがあり、そのすべてが看護婦隊として従軍しています。

    もちろん、それぞれの学徒隊ごとに碑が建てられているのですが、映画の影響もあってか、沖縄県糸満市にある『ひめゆりの塔』の慰霊碑には、いつも献花が絶えないものの、他の女生徒たちの碑には、あまり訪れる人もなく閑散としています。
    とても残念なことに思います。

    416

    ひめゆり隊の女学生たち

    ひめゆり学徒隊は、昭和20(1945)年3月23日に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から動員されました。
    戦場における負傷兵の看護のために動員されたのです。

    戦争には戦時国際法があります。
    その戦時国際法に従うなら、たとえ敵軍であっても医療施設や医療従事者への攻撃はしてはなりません。
    すれば明らかな戦時国際法違反であり、実施者は「戦争犯罪者」として国際法で裁かれなければなりません。
    ですから本来なら、沖縄の女学生達の看護婦隊は、もちろん戦場ですから安全とまではいえないものの、被害はあってはならないものでした。
    しかし米軍は、容赦なくそれら医療施設や従事者に対しても攻撃を加えました。
    この攻撃で、医局にいた彼女たち240名のうち、117名が死亡してしまいます。

    彼女たちに解散命令が出されたのが6月18日です。
    この時点で、すでに沖縄の日本軍は、ほぼ壊滅していました。
    単なる民間人となっていた彼女たちに、当時の米軍は容赦なく攻撃を加えました。
    結果、解散後に彼女たちのうち、107名が死亡しています。
    結局ひめゆり学徒隊240名のうち、生き残ったのは、わずか14名だけでした。

    他の部隊はどうだったのでしょうか。

    「白梅学徒隊」は、ひめゆり隊より17日はやい、3月6日に結成されました。
    メンバー数は55名です。
    第二四師団の野戦病院で傷病者の手当についての必要な教育を受けているさなかの3月23日に米軍の猛爆撃が開始され、勉強していた病院の建物が危険ということで、彼女たちは医師や患者とともに、その日のうちに八重瀬岳の病院壕に移動しました。

    病院壕といえば聞こえは良いのですが、実態はただの「ほら穴」です。
    床も壁も天井も地面むき出しのままですし、虫も出ます。
    近くに爆弾が落ちれば、轟音とともに天井から土や石が落ちてきます。

    その洞穴に、前線で重傷を負った兵たちが運ばれてきました。
    日本軍の場合、少しでも動けるものは銃をとって戦いましたから、病院壕に運ばれてくるのは、すでに戦闘能力を失った重症者です。

    白梅学徒隊は、沖縄県立第二高等女学校の最上級生(四年生)でした。
    高等女学校の四年生というのは、いまでいう高校一年生です。
    その女生徒たちが、ほら穴で重症兵の看護、手術の手伝い、水くみ、飯炊き、排泄物の処理、傷口に沸いたウジ虫の処置、死体埋葬、伝令などを行いました。

    手術もほら穴の中です。
    爆風によってつぶされた腕や脚は、もはや切り取るしかありません。
    切り取った手足は、バケツに入れられ、それを白梅部隊の女学生が、交代で敵の爆撃のない早朝に表に捨てに行きました。
    これは聞いた話なのですが、死体よりも、生きている人から切り取った手足は、持つと重く感じるものなのだそうです。
    悲しい話です。

    4月下旬になると、負傷兵が増加し、ほら穴の入り口付近まで負傷兵であふれるようになりました。
    やむをえず5月上旬には、東風平国民学校の裏手の丘にも分院を開設して、収容しきれない患者をそこへ移しました。
    その分院にも米軍が迫ってきたため、やむなく分院を閉鎖し、もとの八重瀬岳の本院へ患者と白梅学徒隊を集合させたのですが、この分院を閉鎖するとき、歩けない負傷兵たちに青酸カリを与えて彼らを処置したのが、白梅学徒隊でした。
    彼女たちは、痛みに苦しむ患者たちの日常の世話をし、彼らと親しく会話し、生きるために彼らを励まし続けてきたのです。
    その人たちに青酸カリを渡す。
    年端もいかない彼女たちの、そのときの心の痛み、辛さ、苦しさ、哀しさ。
    想像するだけで涙を誘います。

    6月4日、八重瀬岳の本院にも敵の手が迫りました。
    このとき病院は、500名以上の重症患者の「処置」をしました。
    これもまた白梅隊の仕事でした。
    そして病院は解散となり、同日、白梅隊も解散となりました。

    このとき彼女たちは「軍と行動をともにしたい」と願い出たそうです。
    しかし死を覚悟した軍の兵士達は、彼女たちの願いを退けました。
    「自分たちは戦って死ぬ。君たちには生き残ってもらいたい。」
    それが兵士たちの願いでした。

    彼女たちは、数人ずつに別れて、南部に向かいました。
    あてなどありません。
    爆風渦巻く中、8名が途中で死亡しました。
    残った16名は、国吉(現糸満市)でほら穴を見つけ、そこに隠れました。
    そこがいま「白梅の塔」のある洞窟です。

    414

    その彼女たちの隠れていた洞窟に、6月21日、米軍が「馬乗り攻撃」を仕掛けてきました。
    「馬乗り攻撃」というのは、ほら穴の上から穴をうがち、その穴からガソリンなどの可燃物を注ぎこんで火を着ける攻撃です。
    内部は紅蓮の炎に包まれます。

    この攻撃で、壕に隠れた彼女たちのうち、6名が死亡しました。
    6月22日も同じ攻撃を受けて2名が死亡しました。
    そして後日1名も、重度の火傷のために、収容された米軍病院で死亡しています。

    412

    ずゐせん女子学徒隊

    「ずゐせん女子学徒隊」は、沖縄県立首里高等女学校の、やはり4年生(いまの高校一年生)の61名の少女たちです。
    彼女たちは、第六二師団の野戦病院(といっても、これもほら穴(壕)です)で、休む間もなく負傷兵の看護をして働き続けました。
    まだ16歳の少女が、兵隊の尿を取ったり、膿だらけの包帯を交換したり、傷口にわいたウジ虫を払い落としたり、亡くなった兵隊の死体を運搬したりしたのです。

    絶え間なく落ちて来る艦砲弾の下をかいくぐり、水を汲みに行ったり、食事の支度をしました。
    4月23日、患者を収容するために壕を出た生徒1名が、砲弾の破片を受けて死亡しました。

    5月20日、敵が迫りくる中、ついにこの野戦病院も退去することになりました。
    彼女たちは歩ける負傷兵を支え、南部へと移動しました。
    そしてまる10日間、砲火の中を逃げまどい、ようやく6月1日、摩文仁村米須の石部隊の壕に到着しています。

    しかし、そこはすでに患者と兵隊でいっぱいでした。
    やむをえず患者だけを壕に収容してもらい、彼女たちは伊原の崖下の岩間に入りました。

    6月7日、その岩間が、直撃弾を受けて落盤しました。
    この落盤で、生徒一名が死亡しました。

    6月10日、軍は彼女たちに解散命令を出しました。
    しかし彼女たちは納得しなかったそうです。
    どうしても軍と行動を共にし、最後まで患者たちの面倒をみるといって聞かなかったのです。
    やむなく解散命令は、このとき、いったん撤回されています。

    6月19日、米軍の砲火が激しくなりました。
    軍は彼女たちに、
    「もはやこれまでです。
     自分たちはここに残ります。
     君達は解散するから、すこしでも遠くに逃げなさい」
    と説得しました。
    残っていれば、やってくるのは確実な死です。
    少しでも遠くに逃げれば、ほんのわずかであるにせよ、生き残れる可能性がある。
    ようやく承諾した彼女たちは、いったん壕外に出ました。
    しかし外はあまりに砲撃が激しくて、ふたたび壕に舞い戻るしかありませんでした。

    6月23日、その壕が米軍の「馬乗り攻撃」にあいました。
    壕の奥はガソリンで焼かれ、入口付近は火炎放射器で焼かれました。
    いぶり出されるようにして、生徒たちは壕外に出ました。
    そして米軍に収容されました。
    この時の馬乗り攻撃と火炎放射機で、生き残っていた生徒のうち、25名が死亡しました。

    結局、動員された61名の女生徒のうち、生き残ったのは28名だけでした。

    410

    積徳学徒隊

    「積徳学徒隊」は、私立積徳高等女学校の4年生25名です。
    彼女たちも同様に、豊見城城跡の第二四師団、第二野戦病院で、負傷兵の看護や手術の手伝い、水くみ、飯上げ、排泄物の処理、死体埋葬、伝令などを行いました。

    彼女たちも、5月下旬には、首里の軍司令部まで米軍が迫ってきたために、真壁村糸須の自然洞窟へ撤退しました。
    このとき、彼女たちも重傷者に青酸カリで「処置」するようにと命令されたのですが、どうしても、それができなかったそうです。
    哀れに思った軍医は「処置」を取りやめました。

    しかし、6月20日には、洞窟入口に火炎放射やガス弾を投下され、病院部隊は自決を決意しました。
    小池病院長は、彼女たち積徳学徒隊に解散を命じ、
    「生き延びて、
     沖縄戦のことを
     他府県の人々に伝えてください」
    と訓辞を与え、そして自決しました。

    生徒たちは壕外に出ました。
    行く宛もなくさまよっているところを米軍に収容されています。
    その時点で、動員された25名の生徒のうち4名が死亡しています。

    生還した彼女たちは、入隊したときの気持ちを次のように語っています。
    「全く不安はなかったね。
     戦争は絶対に勝つもんだと
     信じきっていたから」
    「私たちが行かなかったら、
     誰が傷病者を世話するのって
     真剣に思っていました」
    「ただもうお国のためにという
     気持ちで一杯でした。」

    彼女たちに戦局の様子はわかりません。
    ただ爆弾が落ち、次々に運ばれてくる負傷者を必死に介護したのです。
    そして眼の前で、次々と命が失われていきました。

     *

    戦いに敗れ、蹂躙されるということは、こういうことです。
    しかし戦わなければ、もっと悲惨な運命が待ち受ける。
    抵抗しなければ殺されずに済んだなどということはないのです。

    なぜ彼女たちが、ここまで追い詰められ、この世の地獄に接しなければならなかったのでしょうか。
    戦争だったから?
    ではなぜ戦争が起こったのでしょうか。
    日本の軍部が暴走したから?
    ハルノートがあったから?
    ルーズベルトが仕掛けたから?
    なるほど戦争の原因については、諸説あります。
    しかし、どれも他国や他人の「せい」にするものばかりです。

    違うと思います。
    他人のせいにするようでは、同じことがまた起きてしまいかねません。
    私は、理由は「軍事バランスが崩れたから」であると思っています。

    日本は、平和を希求しました。
    そして大正10(1921)年のワシントン会議において、米英日の主力艦保有率を、5:5:3とする条件を飲みました。
    そしてこのとき同時に、米国の強い主張によって、20年続いた日英同盟が破棄され、新たに米英同盟がスタートしました。
    つまりこの瞬間に、「日英8:米5」だった軍事バランスが、「米英10:日3」へと変化しました。
    こうして世界の最強国の一角を占めていた日本の軍事力が弱化しました。
    軍事バランスが崩れたのです。

    10:3では、もはや日本には物理的に到底勝ち目がありません。
    弱ければ侮られる。
    それが世界の現実です。
    侮られた日本は、昭和4(1929)年の世界恐慌の際、米英で日本製品のボイコットを受けました。
    それどころか、昭和3(1928)年に誕生したばかりのChinaの蒋介石政権までも、露骨な排日運動を展開するようになりました。

    そしてあちこちで日本人が、酷い目に遭わされるようになりました。
    尼港事件が起こり、通州事件が起こり、そしてついに昭和12(1937)年には日華事変が勃発しています。
    続く昭和16(1941)年には、大東亜戦争が勃発しています。
    弱ければ、袋叩きに遭うのです。

    世界には、条約はあっても法律はありません。
    戦時国際法はあっても、法の執行機関はありません。
    あるのは、今も昔も、国家間の力関係だけです。

    いったん戦争になれば、条約はいとも簡単に破棄され、戦時国際法さえも無視されます。
    だから沖縄戦でも赤十字の旗が翻る病院施設が爆撃されたのです。
    戦時中でさえ、必死に条約を守り通したのは、世界広しといえども日本軍ぐらいなものです。

    自衛隊を持つ戦後日本は、戦後73年間、戦争をすることなく過ごしてきました。
    この73年間、まったく戦争をしなかった国は、日本とスイスくらいなものです。

    そのスイスは、永世中立を宣言している国です。
    しかしスイスは国民皆兵の国です。
    スイスと戦争をする国は、スイス政府と、その指揮下にあるスイス軍を相手取っての戦争はできません。
    スイスの760万の国民すべてを相手取って戦争をしなければならない。
    しかもスイスは国際金融の要を握っています。
    世界の大金持ちの資産の多くはスイスに預けてあるのです。
    スイスが戦乱に呑まれるということは、世界のお金持ち、つまり戦争を仕掛ける人たちが自分の財産を失うということです。
    だからスイスは戦争をしないで済んでいるのです。
    それでも国民皆兵なのです。

    では日本が戦後、戦争をしないでこれた理由は何でしょうか。
    理由は3つあります。

    ひとつは米国の核の傘に守られたことです。
    日本を攻めることは米国の核を敵にまわすことになる。

    ふたつめは終戦前までの日本が、あまりに強かったことです。
    「寝た子を起こすな」
    は、まさに世界の合い言葉です。

    みっつめが自衛隊です。
    軍事バランスでいえば、日米軍事同盟は、現時点で世界最強です。
    だから戦争が起こらなかったのです。

    あたかも憲法9条のおかげで戦争がなかったように言う人がいますが、デマです。
    日本に憲法9条があろうがなかろうが、戦争は相手があって起きるものです。
    日本を攻めようとする国には日本の法律も憲法も関係ないのです。
    あたりまえのことです。
    日米同盟がなく、憲法9条だけが存在したなら、日本はもっと早くに旧ソ連か中共に攻め滅ぼされていたかもしれません。

    世界は理想で動いているのではありません。
    現実の利害で動いています。
    世界には、戦争で大儲けをする人達もいるのです。
    そういう人達は、どこでも良いから戦争が起きてくれないと、儲からないのです。

    South Koreaや中共が、ありもしない慰安婦問題や南京問題などで騒ぎたてるのは、彼らは日本に憲法9条があって、日本に何を言っても日本から刀を抜くことは現時点で絶対にないし、軍事的に自国が攻められることがないと知っているからです。

    現に、彼らは、あれだけ日本を侮りながら、日本に対する軍事行動は起こしません。
    なぜなら、戦えば負けると知っているからです。
    逆にいえば、日本が軍事面で弱くなれば、ChinaもSouth Koreaも、容赦なく日本を蹂躙します。
    竹林はるか遠くや、通州事件、そしてかつて沖縄にあった現実が、そのまま現代日本の現実になるのです。

    「沖縄県民斯ク戦ヘリ」という有名な言葉を残して6月6日に自決した沖縄方面の指揮官、大田実海軍中将は、自決の直前、海軍次官宛てに電報を発しています。
    そこに女子看護隊の様子も描かれています。

    「沖縄県民の実情に関しては
     県知事より報告せらるべきも
     県には既に通信力なく
     三二軍司令部又通信の
     余力なしと認めらるるに付
     本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども
     現状を看過するに忍びず
     之に代って緊急御通知申上ぐ

     沖縄島に敵攻略を開始以来
     陸海軍方面 防衛戦闘に専念し
     県民に関しては
     殆ど顧みるに暇なかりき

     然れども本職の知れる範囲に於いては
     県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ
     残る老幼婦女子のみが相継ぐ砲爆撃に
     家屋と財産の全部を焼却せられ
     僅かに身を以て軍の作戦に
     差支えなき小防空壕に避難

     尚 砲爆撃下○○○(文字不明)
     風雨に曝されつつ
     乏しき生活に甘んじありたり

     而も若き婦人は率先軍に身を捧げ
     看護婦烹炊婦はもとより
     砲弾運び
     挺身斬込隊すら申し出るものあり

     所詮敵来たりなば老人子供は殺されべく
     婦女子は後方に運び去られて
     毒牙に供せらるべしとて
     親子生別れ
     娘を軍衛門に捨つる親あり

     看護婦に至りては軍移動に際し
     衛生兵既に出発し
     身寄りなき重症者を助けて○○(文字不明)
     真面目にして一時の感情に
     駆られたるものとは思われず

     更に軍に於いて作戦の大転換あるや
     自給自足
     夜の中に遥に遠隔地方の住民地区を
     指定せられ輸送力皆無の者
     黙々として雨中を移動するあり

     之を要するに陸海軍沖縄に進駐以来
     終始一貫 勤労奉仕
     物資節約を強要せられつつ
     (一部の兎角の悪評なきにしもあらざるも)
     只管(ひたすら)日本人としての
     御奉公の誇りを胸に抱きつつ
     遂に○○○○(文字不明)与え
     ○(文字不明)ことなくして
     本戦闘の末期と沖縄島は
     実情形○○○○○○(文字不明)
     一木一草焦土と化せん
     糧食六月一杯を支ふるのみなりと謂う 

     沖縄県民斯く戦へり
     県民に対し後世特別の
     御高配を賜らんことを」

    沖縄のひめゆり学徒隊のように、女子高生がふたたび同じ悲哀を味わうようなことがあっては絶対になりません。
    そのための責任は、いまを生きる私達にあります。
    しかし現代日本は、また別な形で未成年の女子たちが受難の時代になっているともいわれています。
    このままで良いのでしょうか。
    私達ひとりひとりにできることは小さいかもしれないけれど、二度と再び未成年の女の子たちに悲惨を与えてはならない。
    それこそ今を生きる大人たちが解決しなければならない事柄です。
    少なくとも、女生徒たちに「お前たちは生き残るのだ」と言って死んでいった我軍の兵士たちのうほうが、悲惨を見ても何もしないでいる現代日本人よりも、何十倍も真人間だったといえるのではないでしょうか。

    米国が世界の警察となることをあきらめ、世界からの軍事面での撤収を開始したということは、逆にいえば、日本はこれから、単独で国を守って行かなければならないということです。
    自衛権は、国でも個人でも家庭でも、誰もが等しく持っているものです。
    自衛権のない国家など、あり得ません。

    こんな簡単なことを否定する、自衛権を否定したり、あるいは半島有事の危険があっても森友しか語らない人たちがいます。
    彼らはひめゆり学徒隊をはじめとした、沖縄の少女たちに、顔向けができるのでしょうか。

    お読みいただき、ありがとうございました。


    「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
    http://nezu621.blog7.fc2.com/

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