■連載一覧
  • 何処へゆく韓国 「親北反日」の迷路
  • 令和参院選 注目区を行く
  • 2019/7/18
  • 2019/7/11
  • 2016 世界はどう動く-識者に聞く
  • 戦後70年 識者は語る
  • 2015 世界はどう動く-識者に聞く
  • 2014 世界はどう動く
  • 2016/1/04
  • 2015/8/09
  • 2015/1/07
  • 2014/1/06
  • 香港憤激 一国二制度の危機
  • 香港・中国返還20年 「一国二制度」の前途
  • 台湾に吹いた蔡英文旋風
  • ルポ・政権交代の攻防 台湾総統選
  • 二極化する香港 識者インタビュー
  • 香港誌「前哨」編集長 劉達文氏に聞く
  • 「雨傘革命」下の香港 揺れる一国二制度の行方
  • 揺れる香港 各派リーダーに聞く
  • 香港の普選運動 親中派民間団体代表の見方
  • 2019/7/04
  • 2017/7/01
  • 2016/1/18
  • 2015/12/26
  • 2015/7/12
  • 2014/11/21
  • 2014/11/14
  • 2014/11/06
  • 2014/7/08
  • 中国「一帯一路」最前線 バルカンに吹く風
  • 危機のアジア 識者に聞く
  • 南シナ海 強まる中国支配 安保専門家に聞く
  • ドゥテルテ大統領就任から3カ月 どこへ向かう比政権
  • 香港「自治」の行方 識者に聞く
  • 中華圏に浸透する同性婚
  • 中台関係の行方
  • 日米同盟と台湾 海洋安全保障の展望
  • 蔡英文時代の台湾 本土派路線のビジョンと課題
  • ASEANの夜明け アジアハイウエー7000キロルポ
  • 緊張 南シナ海
  • 中央アジア胎動 中国「新シルクロード」と日本の戦略
  • “政熱経熱”の中韓
  • 新QDRと米中軍事バランス
  • 新グレートゲーム・幻想だった中国の平和的台頭
  • 新グレートゲーム・中国南進の海
  • 2018/8/20
  • 2018/1/04
  • 2017/7/26
  • 2016/9/21
  • 2016/8/17
  • 2016/7/26
  • 2016/6/03
  • 2016/5/31
  • 2016/5/19
  • 2016/3/22
  • 2015/11/18
  • 2015/10/14
  • 2015/9/07
  • 2014/3/31
  • 2014/2/14
  • 2013/4/18
  • ムスリム同胞団とアラブ モハメド・F・ファラハト氏に聞く
  • 多難な年明けのトルコ
  • EUと難民 UNHCRウィーン事務所報道官に聞く
  • ロシアのシリア内戦介入 アルアハラム財団事務局長に聞く
  • 2017/9/01
  • 2016/1/30
  • 2015/12/11
  • 2015/11/13
  • 大阪G20サミット焦点
  • 地方創生・少子化対策 首長は挑む
  • 新閣僚に聞く
  • 懸案にどう挑む 第4次安倍改造内閣
  • 「赤旗」役所内勧誘の実態
  • 憲法改正 私はこう考える
  • 衆院選大勝 安倍政権への提言
  • 2017衆院選 国難と選択
  • 新閣僚に聞く
  • 第3次改造内閣 信頼回復へ始動
  • ’17首都決戦
  • 施行から70年 憲法改正を問う
  • どうなる「民共協力」 27回共産党大会の焦点
  • 蓮舫民進 疑問の船出
  • 新閣僚に聞く
  • 「立憲主義」について
  • 再改造内閣 始動
  • 安倍政権 新たな挑戦
  • 16参院選 注目区を行く
  • 伊勢志摩サミット
  • 憲法改正 ここが焦点
  • 筆坂元日本共産党ナンバー3と田村自民党政務調査会審議役が対談
  • 第3次安倍改造内閣スタート
  • 詳解 集団的自衛権 安保法制案の合憲性
  • 衆院選 自公圧勝 ~課題と展望~
  • ’14衆院選 注目区を行く
  • 第2次安倍改造内閣スタート
  • 日米首脳会談 成果と課題
  • 2019/6/24
  • 2019/6/12
  • 2018/10/25
  • 2018/10/04
  • 2018/3/30
  • 2018/2/15
  • 2017/10/25
  • 2017/10/16
  • 2017/9/07
  • 2017/8/06
  • 2017/6/27
  • 2017/4/26
  • 2017/1/09
  • 2016/9/17
  • 2016/9/02
  • 2016/8/22
  • 2016/8/04
  • 2016/7/12
  • 2016/6/30
  • 2016/5/23
  • 2016/4/25
  • 2016/4/04
  • 2015/10/08
  • 2015/8/06
  • 2014/12/16
  • 2014/12/07
  • 2014/9/05
  • 2014/4/26
  • '18沖縄県知事選ルポ
  • 歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
  • 国防最前線・南西諸島はいま 第2部 自衛隊配備へ動く石垣島
  • 国防最前線・南西諸島はいま 第1部 与那国島・陸自駐屯地
  • 激震・翁長県政 「オール沖縄」の凋落
  • 普天間基地移設 経緯の検証と提言
  • 「援護法」に隠された沖縄戦の真実
  • 2018/9/25
  • 2018/4/07
  • 2016/10/31
  • 2016/10/12
  • 2016/1/26
  • 2015/10/01
  • 2013/7/08
  • 金正恩体制を斬る 太永浩・元駐英北朝鮮公使に聞く
  • 迷走する北非核化
  • 平壌共同宣言の波紋
  • どうなる米朝首脳会談
  • 検証 南北首脳会談
  • どう見る北の脅威
  • 北暴走 揺れる韓国
  • どう見る北の脅威
  • 北朝鮮 制裁の現実
  • どう対処 北の脅威 米有識者に聞く
  • 9年ぶり左派政権 文在寅大統領の韓国
  • 弾劾の波紋 漂流する韓国政治
  • 検証・金正恩統治5年
  • どこへ行く混迷・韓国 国政介入事件の深層
  • どう見る金正恩体制 日韓専門家対談
  • 迎撃ミサイル配備 韓国の決断
  • 3代世襲“完成” 北朝鮮第7回党大会
  • 検証 元料理人 藤本氏の再訪朝
  • 韓国総選挙ショック
  • 日韓国交正常化50年 識者に聞く
  • どうする拉致解決 日朝ストックホルム合意1年
  • 日韓国交正常化50年 「嫌韓」「反日」を越えて
  • 張成沢氏失脚 北で何が起きたか
  • 2019/2/19
  • 2018/12/26
  • 2018/9/26
  • 2018/5/23
  • 2018/5/01
  • 2018/2/13
  • 2017/9/21
  • 2017/9/19
  • 2017/6/26
  • 2017/5/17
  • 2017/5/11
  • 2017/3/15
  • 2016/12/27
  • 2016/12/05
  • 2016/8/24
  • 2016/7/20
  • 2016/5/10
  • 2016/4/29
  • 2016/4/15
  • 2015/6/22
  • 2015/5/11
  • 2015/2/05
  • 2013/12/10
  • 待ったなし地球温暖化対策
  • 環境先進国フランスの挑戦
  • 迫る気候変動の脅威 どうする大災害への備え
  • 2016/1/02
  • 2015/10/07
  • 2015/9/21
  • 米中新冷戦 第2部 中国・覇権への野望
  • 米中新冷戦 第1部「幻想」から覚めた米国
  • 検証’18米中間選挙
  • 米国の分断 第3部 「自虐主義」の源流
  • 米国の分断 第2部 反米・容共の風潮
  • 米国の分断 第1部 断罪される偉人たち
  • 「米国第一」を問う トランプを動かす世界観
  • トランプのアメリカ 就任から1年
  • トランプVSリベラル・メディア
  • 「情報戦争」時代と米国
  • 米軍再建への課題-元上級将校の提言
  • トランプ政権始動
  • トランプ大統領の衝撃 米国と世界はどこに向かう
  • トランプvsヒラリー 米大統領選まで1カ月
  • オバマのLGBT外交 米国と途上国の「文化戦争」
  • トランプVSヒラリー 米大統領選まで3カ月
  • オバマ外交と次期米大統領の課題
  • 2016年米大統領選まで1年
  • 再考 オバマの世界観
  • オバマの対宗教戦争・第1部
  • オバマの対宗教戦争・第2部
  • 2019/1/16
  • 2019/1/07
  • 2018/11/11
  • 2018/10/15
  • 2018/7/18
  • 2018/5/08
  • 2018/3/12
  • 2018/1/18
  • 2017/12/21
  • 2017/4/03
  • 2017/2/28
  • 2017/1/22
  • 2016/11/11
  • 2016/10/08
  • 2016/9/26
  • 2016/8/06
  • 2016/6/14
  • 2015/11/08
  • 2015/7/06
  • 2013/8/05
  • 2013/9/30
  • JAXA宇宙探査計画
  • 2015/12/24
  • 堂本かおる
    堂本かおる
    ニューヨーク在住フリーランスライター
    菊田 均
    菊田 均
    文芸評論家
    松本 健一
    松本 健一
    評論家
    中岡 弘
    中岡 弘
    著述家
    大島 直行
    大島 直行
    伊達市噴火湾文化研究所長
    時広 真吾
    時広 真吾
    舞台演出家
    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    撃たれても撃たれてもなお立ち上がって最期まで戦ったアッツ守備隊

    米軍戦史は、「突撃の壮烈さに唖然とし、戦慄して為す術が無かった。」と書いています。
    そのアッツの戦い悼んだ園芸店主がいて、ロードヒポキシスに「アッツ桜」と名前をつけました。
    すると誰も宣伝などしていないのに、いつの間にか日本中のみんながその花を「アッツ桜」と呼ぶようになりました。
    それはいまも続いています。

    600

    5月29日は、アッツ島守備隊が玉砕(昭和18年(1943))した日です。
    写真にある花は「アッツ桜」です。
    ちょうど今頃の季節に咲く花です。

    この花の本当の名前はロードヒポキシスといいます。
    原産地は南アフリカ共和国のドラケンスバーグ山脈周辺の高原です。
    北の外れのベーリング海峡に浮かぶ島の花ではありません。
    日本人だけが「アッツ桜」と呼んでいます。

    なぜこの花が日本で「アッツ桜」と呼ばれているのか。
    時は70年ほどさかのぼります。
    昭和18(1943)年5月のことです。

    カムチャッカ半島から、北米大陸のアラスカにかけて、転々と連なる島々がアリューシャン列島です。
    列島は、北米に近い方から順に、ラット諸島、ニア諸島と呼ばれています。
    そのニア諸島のいちばん西のはずれにある小さな島が、アッツ島です。

    昭和18年5月29日、アッツ島に進出していた日本軍2,650名が、約一ヶ月間にわたる激しい戦いの末、全員散華されました。
    その報に接したとき、ある園芸店の店主が、アッツ島守備隊の方々の死を悼んで、店頭にあったロードヒポキシスに、「アッツ桜」と名前を付けました。

    アッツ桜は、桜科の植物ではありません。
    ユリ科です。
    球根植物です。
    ひとつの球根から伸びた茎の先に、一輪の美しい花を咲かせます。

    けれどきっとアッツ桜と命名した園芸店主は、国を想い北の果てで散って行かれた島の守備隊の面々に、この花を捧げたかったのだろうと思います。
    たった一軒の、小さな花屋さんの小さな名付けが、宣伝など何もしなくても、あっという間に全国に広がりました。

    いまもこの花は、花屋さんの店頭で「アッツ桜」として売られています。
    日教組やマスコミが、いくら自虐史観を刷り込んでも、日本人の心には、人の痛みを知る心がちゃんと残っているのです。

     *

    アッツ島の戦いは、大東亜戦争の防衛戦で、最初の玉砕戦となった戦いです。
    アッツ島は米国アラスカ州アリューシャン列島のニア諸島最西部にある島です。
    日本は、この島に昭和17(1942)年9月18日に進出しています。
    駐屯隊の人数は、2,650名です。
    全部が軍人ではありません。ほとんどが土木作業員でした。
    理由は、ここに領土防衛のための飛行場を建設するためでした。

    米国にしてみれば、西の外れの島嶼であり、人も住まず、米国沿岸警備隊の巡回以外には誰も上陸さえしないところであるとはいえ、米国領土の一部が日本によって占領されたわけです。
    ですから米国は、まさに大軍を用いて、この島の奪還を計っています。

    領土というのは、それほどまでに大切なものなのです。
    我が国は竹島や北方領土を勝手に専有されて抵抗さえしませんが、それは本来の国家のあるべき姿ではないのだということを、私たちは学ぶ必要があります。

    400

    そのような次第から米国は、昭和18年には、大艦隊を率いて、アッツ島にやってきました。
    そのときのアッツ島守備隊の司令官は、山崎保代(やまさきやすよ)大佐(没後二階級特進で中将、以後中将と呼びます)でした。
    山崎中将は、いよいよ米軍が攻めて来るとなった昭和18(1943)年4月18日、アッツ島に赴任となったのです。

    山崎中将は、山梨県都留市の出身です。
    代々僧侶の家でした。
    子供のころからたいへん優秀で、名古屋の陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校は25期生です。
    陸軍任官後は、シベリアに出兵し、昭和3年の斉南事件にも出動しています。

    ※斉南事件
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2249.html

    潜水艦でアッツに到着した山崎大佐は守備隊に、水際防御ではなく、後の硫黄島と同じ敵を島の内部に引き込んで戦う作戦を指示しました。

    300

    中将は、もし米軍がこの島を攻めてくるなら、きっと大艦隊・大部隊でくるだろうと予測していたからです。
    敵は大部隊、こちらは、わずかな兵力です。
    けれど、その米軍を一日でも長くこの島にひきつけ、寡兵で彼らと五分の戦いをするには、内陸部に引き込んで戦う以外にないと、情勢を読んだのです。

    はたして守備隊の前に、5月5日米軍があらわれました。
    予想通りの大艦隊です。
    米軍は、戦艦「ネヴァダ」「ペンシルベニア」「アイダホ」、護衛空母「ナッソー」に加え、多数の輸送艦を引き連れていました
    上陸部隊の人数だけでも、1万1000人という大部隊です。

    守る日本軍は、わずか2,650名。
    このうち純粋な戦闘員は、半数もいません。

    430

    アッツ島のあたりは、たいへん深い霧が発生するところです。
    米軍は、洋上で天候回復を待ち、5月12日に島への上陸作戦を開始しました。
    やり方は、その後の島での戦いと同じです。
    小さな島いっぱいに、アリの這い出る隙間もないくらい艦砲射撃と空爆を行ってから、大部隊を上陸させるのです。

    山崎大佐率いる守備隊は、地中に掘った穴に隠れて、その艦砲射撃と空襲をやり過ごしました。
    巨大な爆弾が落ちる度に、穴の中は地面が振動し、天井が崩れ落ちました。
    けれど、じっと我慢しました。
    いよいよ海岸線に敵が上陸してきても、何もしないで、じっと我慢しました。

    そして敵がいよいよ島の奥深くまで侵入して来たとき、山崎中将以下の兵達は、一斉に火砲の火ぶたを切りました。
    そして激しい戦いの末、米軍の第17連隊を壊滅し、さらに一個大隊で押し寄せた米軍と真っ向から対峙して、これを海岸線まで退けました。

    しかし、衆寡敵せず。
    約二週間の昼夜をわかたぬ激闘の末、日本側は28日までにほとんどの兵を失ってしまいました。

    この戦いに参加した辰口信夫軍医が遺した日記が、後日、米軍によって発見されています。
    辰口医師の日記は 敵上陸の1943年年5月12日から始まって、玉碎前日の29日で終わっています。
    そのわずか18日間の短い日記です。

    5月29日の最後の日記を引用します。
    「夜20時、地区隊本部前に集合あり。
     野戰病院も参加す。
     最後の突撃を行ふこととなり、
     入院患者全員は自決せしめらる。

     僅かに33年の生命にして、
     私はまさに死せんとす。
     但し何等の遺憾なし。
     天皇陛下萬歳。
     聖旨を承りて、精神の平常なるは我が喜びとするところなり。

     18時、総ての患者に手榴弾一個宛渡して注意を与へる。

     私の愛し、そしてまた最後まで私を愛して呉れた妻妙子よ、さようなら。
     どうかまた合う日まで幸福に暮らして下さい。

     美佐江様
     やっと4歳になったばかりだが、
     すくすくと育ってくれ。
     睦子様
     貴女は今年2月生まれたばかりで父の顔も知らないで気の毒です。
     政様 お大事に。

     こーちゃん、すけちゃん、まさちゃん、みっちゃん。
     さようなら。」

    辰口氏は、軍医です。
    おそらくは山崎中将と、最後までご一緒されたのでしょう。

    文中にあるように、29日、戦闘に耐えられない重傷者が自決したあと、山崎中将は、まだ動ける生存者全員、本部前に集合させています。
    集まった兵は、この時点でわずか150名です。

    山崎中将は、今日までよくぞ戦ってくれたと、ひとりひとりをねぎらいました。
    次に、通信兵に
    「機密書類全部焼却、これにて無線機破壊処分す」
    との電文を本部に打電するよう命じました。

    中将は、
    「いざ!」
    と声をかけました。
    そして左手に日の丸を持ち、右手で軍刀を抜き放ちました。
    これもまた古式にのっとったものです。
    古い昔から、我が国では左が上位です。

    山崎中将は、攻撃部隊の先頭に立ち、生き残った全員を引き連れて、先頭に立って山の斜面を駆け上って行きました。
    動ける者は、残る全員、あとに続きました。
    死ぬ、とわかってもなお、最後の特攻攻撃を行ったのです。

    突撃は、まさに鬼神とみまごうばかりのものでした。
    米軍は大混乱に陥りました。
    日本軍は、次々と米軍陣地を突破しました。

    米兵の死体がそこらじゅうに転がりました。
    それでも日本軍の進撃は止まりません。

    そしてついに、米軍上陸部隊の本部にまで肉薄しました。
    あと一歩で、上陸部隊の本陣を抜くところまで行きました。

    しかしここまできたとき、ようやく体勢を整えた米軍が、火力にものをいわせて、猛然と機銃で反撃に出ました。
    味方の兵が、バタバタと倒れました。
    そして山崎中将以下、全員が玉砕されたのです。

    戦いが終わった後、累々と横たわる日本の突撃隊の遺体の先頭には、山崎中将のご遺体がありました。
    これは米軍が確認した事実です。

    これは不思議なことです。
    山崎中将は、突撃攻撃の最初から、先頭にいたのです。
    先頭は、いちばん弾を受けます。
    おそらく途中で何発も体に銃弾を受けたことでしょう。
    その度に、倒れられたかもしれません。

    それでも中将は、満々たる闘志だけで、撃たれては立ち上がり、また撃たれては立ち上がって、そしてついに味方の兵が全員玉砕したときにも、山崎中将は突撃隊の先頭に這い出て、こときれたのです。

    享年51歳でした。
    山崎大佐以下、2,650名の奮戦については、米軍戦史において、次のように書かれています。
    「突撃の壮烈さに唖然とし、
     戦慄して為す術が無かった。」
    そしてさらに米軍戦史は、山崎大佐をして「稀代の作戦家」と讃えています。

    300

    山崎保代中将

    このアッツ島の玉砕戦について、当時大本営参謀だった瀬島竜三氏が、その手記「幾山河」の中で、次のような事実を書かれています。

    「アッツ島部隊は非常によく戦いました。
     アメリカの戦史に
     『突撃の壮烈さに唖然とし、
      戦慄して為す術が無かった』
     と記されたほどです。
     それでもやはり多勢に無勢で、
     5月29日の夜中に、
     山崎部隊長から参謀総長あてに、
     次のような電報が届きました。

     『こういうふうに戦闘をやりましたが、
      衆寡敵せず、
      明日払暁を期して、
      全軍総攻撃をいたします。
      アッツ島守備の任務を果たしえなかったことを
      お詫びします。
      武官将兵の遺族に対しては、
      特別のご配慮をお願いします』

     その悲痛な電報は、
     『この電報発電と共に、
      一切の無電機を破壊をいたします』と、結ばれていました。

     当時アッツ島と大本営は無線でつながれていたのですが、
     全軍総攻撃ののちに
     敵に無線機が奪われてはならないと破壊し、
     アッツ島の部隊は玉砕したわけです。

     この種の電報の配布第一号は天皇です。
     第二号が参謀総長、
     第三号が陸軍大臣となっていまして、
     宮中にも各上司の方には全部配布いたしました。

     そして翌日九時に、
     参謀総長・杉山元帥がこのことを
     拝謁して秦上しようということになりまして、
     私は夜通しで上秦文の起案をし、
     御下問奉答資料もつくって、
     参謀総長のお供をして、
     参内いたしました。
     私どもスタッフは、
     陛下のお部屋には入らず、
     近くの別の部屋に待機するわけです。

     それで杉山元帥は、
     アッツ島に関する奏上を終わらせて、
     私が待機している部屋をご存じですから、
     『瀬島、終わったから帰ろう』と、こうおっしゃる。

     参謀総長と一緒に車に乗るときは、
     参謀総長は右側の奥に、
     私は左側の手前に乗ることになっていました。
     この車は運転手とのあいだは、
     厚いガラスで仕切られていました。

     この車に参謀総長と一緒に乗り、
     坂下門を出たあたりで、
     手帳と鉛筆を取り出して、
     『今日の御下問のお言葉は、
      どういうお言葉がありましたか。
      どうお答えになりましたか。』
     ということを聞いて、
     それをメモして、
     役所へ帰ってから記録として
     整理するということになっていました。

     車の中で何度もお声をかけたのですが、
     元帥はこちらのほうを向いてくれません。
     車の窓から、ずっと右の方ばかりを見ておられるのです。
     右のほう、
     つまり二重橋の方向ばっかり見ておられるわけです。

     それでも、その日の御下問のお言葉と参謀総長のお答えを伺うことが私の任務ですから、
     『閣下、本日の奏上はいかがでありましたか』と、重ねてお伺いしました。

     そうしたら、杉山元帥は、ようやくこちらのほうに顔を向けられて、
     『瀬島、役所に帰ったら、
      すぐにアッツ島の部隊長に電報を打て』
     と、いきなりそう言われた。

     それを聞いて、
     アッツ島守備隊は無線機を壊して突撃してしまった
     ということが、すぐ頭に浮かんで、
     『閣下、電報を打ちましても、
      残念ながらもう通じません』と、お答えした。

     そうしたら元帥は、
     『たしかに、その通りだ』と、うなずかれ、
     『しかし陛下は自分に対し
      アッツ島部隊は最後までよく戦った。
      そういう電報を、杉山、打て』
     とおっしゃった。
     だから瀬島、電報を打て」と、言われた。

     その瞬間、ほんとに涙があふれて……。

     母親は、事切れた後でも自分の子供の名前を呼び続けるわな。
     陛下はそう言うお気持ちなんだなあと、
     そう思ったら、もう涙が出てね、
     手帳どころじゃなかったですよ。

     それで、役所へ帰ってから、陛下のご沙汰のとおり、
     『本日参内して奏上いたしたところ、
      天皇陛下におかせられては、
      アッツ島部隊は
      最後までよく戦ったとのご沙汰があった。
      右謹んで伝達する』
     という電報を起案して、
     それを暗号に組んでも、
     もう暗号書は焼いてないんですが、
     船橋の無線台からアッツ島のある北太平洋に向けて、
     電波を送りました。」

    なぜそこまでして、私たちの父祖は戦ったのでしょう。
    敵の大艦隊、味方の4倍以上もの大部隊、圧倒的な火力を持つ敵に対して、最初から勝ち目がないことは、誰の目にもあきらかだったことでしょう。
    それでもなお、白旗をあげることなく、最後まで戦いました。
    どうしてでしょう。

    このことについて、西洋史にもその答えの一部を見ることができます。
    近世までのヨーロッパでは、各国ごとに国王がいました。
    国王は国境の利権のために、隣国と戦争をしました。

    兵は傭兵です。
    傭兵は体が資本ですから、死んでしまっては稼ぐことができません。
    ですから、少しだけ戦って、負けそうになったら、すぐに白旗を掲げるし、その場から逃げ出しました。

    指揮官は貴族です。
    その貴族は、跡取り息子が近衛兵として国王の側近に仕えていました。
    前線でその貴族が裏切れば、息子が処刑されるという関係にありました。

    ですから戦いは形ばかりで、負けそうなら最初から戦わないし、いきなり攻められて負けそうになったらすぐに降参して、次の機会を待つというのが一般的でした。
    ところがナポレオンが登場して、国民国家という概念が生まれ、兵たちは自ら志願して、国のためにどこまでも、いつまでも戦うようになりました。

    戦えばすぐに逃げる兵と、どこまでもいつまでも戦い抜く兵の戦いです。
    ナポレオンの軍はヨーロッパ最強となり、戦争の様態を大きく変化させました。
    そしてこれ以降、君主国であっても法のもとに国民と利益を共有するという立憲君主制が生まれ、あるいは国民国家としての民主主義国が誕生するようになりました。
    なぜなら民主国家の兵の方が、君主国の傭兵よりもはるかに強かったからです。

    ナポレオンというのは、18世紀の後半から19世紀の初頭にかけて生きた人です。
    つまり西洋における国民国家という概念は、18世紀以降になってようやく生まれた概念であるわけです。

    ところが日本では、7世紀には公民(おほみたから)という概念がありました。
    国家最高の存在であられる天皇は国家最高の権威であって、政治権力の行使をしません。
    政治権力を行使するのは、太政官であったり、関白であったり、将軍であったり内閣総理大臣であったりと、名称や職権は時代とともに変化していますが、役職者が政治権力を担いました。
    その役職者に、認証を与えるのが、天皇の役割です。
    政治権力を与えられた政治権力者(役職者)が統治する対照は、国家最高の権威である天皇の「たから」たちです。
    こうした社会体制の仕組みを「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。
    日本は天皇のシラス国なのです。

    このことについて拙著『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』のAmazonレビューで、温泉大好きさんが極めて明快なコメントを書いてくださいました。
    以下引用します。

    「多くの日本人は、
     『天皇との紐帯を
      日々実感しながら
      生きることが出来るという、
      日本人だけに許された特権は、
      日本人以外の全ての人間にはなく、
      彼らは悉(ことごと)く、
      そのような実感を享受できない
      気の毒な状態に置かれている。』
     という当たり前の事実を理解できない。
     この実感を享受できないことが、
     どれほど不憫なことであるかは、
     数多くの事例が示してくれている。
     彼らにとっては、
     わずかな身内以外は、
     たとえ同じ国籍の人間であっても
     得体の知れない他人であり、
     彼らの犠牲の上に
     自分だけがいい思いをすることに
     何の痛痒も覚えない。
     だから、ヨーロッパでもアメリカでも、
     大企業の経営者は、
     日本人が首を傾げるような法外な報酬を手にして踏ん反り返り、
     恬(てん)として恥じない。
     中国でも共産党幹部が、
     これまた法外な資金を海外に貯め込んでいることは、
     周知の事実である。
     また総務省が毎年刊行している『犯罪白書』によると、
     ヨーロッパの主要国の犯罪発生率は、
     日本のおおむね5~6倍である
     (アメリカは約3倍だが、
      これは単に、把握されていない
      犯罪が多いからに過ぎない)。
     これこそが、
     二言目には「神」の名を口にする人たちの実態である。
     如何に宗教を信仰しようと、
     おおみたからの実感が得られないと、
     人心はここまで荒廃するのである。」

    日本人は、誰もが天皇を尊敬しています。
    けれどそれは、特定宗教団体が◯◯会長を個人崇拝しているというのとは、まるで違います。
    天皇という存在によって、わたしたちひとりひとりが私有民や私有物とならない自由を与えられている。
    そのことへのありがたさと感謝が日本人にとってあたりまえの感覚です。

    だからこそ、一兵卒に至るまで、たとえ我が身を銃弾で失っても、なお、戦い、守るべき大切なものを護ろうとしたのです。
    同時に山崎中将は、そういうたいせつな大御宝である兵達の命を、自分の命令ひとつで失わせてしまうという責任の重さの自覚があるからこそ、這ってでも突撃隊の先頭に出られて絶命されたのです。

    果たして現代日本人にできるでしょうか。
    体の半分を吹き飛ばされても、それでも前に出て戦うことが。

    かつて日本人は、そういう意味で一体となった国でした。
    そしてその民の心を、陛下ご自身もよくご理解してくださっていました。
    だからこそ陛下は、誰もいなくなったアッツに向けて、電文を飛ばすようにお命じになられたし、それを聞いてみんなが涙をこぼしたのです。
    日本は、そういう国です。
    兵が死んだのが、奴隷が死んだのと同じと思う国なら、こういうことは起こりません。

    そしてアッツで立派に戦い散って行かれた仲間たちがいて、その仲間たちの死を悼んだ園芸店主がいて、その花に「アッツ桜」と名前をつけたら、誰も宣伝などしていないのに、いつの間にか日本中のみんながその花を「アッツ桜」と呼んでいるのです。
    それは、いまも続いています。

    私は、アッツ島で戦い、散って行かれた山崎中将以下2,650名の英霊の方々を誇りに思います。
    そして同時に、この赤い小さな花に、彼らへの追悼と感謝の心をこめて「アッツ桜」と命名し、その名を今に伝えている日本人という民族を、とても誇りに思います。

    アッツ島に散っていかれた英霊に感謝を。

    お読みいただき、ありがとうございました。


    「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
    http://nezu621.blog7.fc2.com/

    2

    コメント

    コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。