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「私が、今日あなたが読む本ですよ」と本が呼びかけてきた

 電子書籍なるものが出版されるようになり、それを気楽に読めるタブレットが普及するようになると、「このままでは、紙の書籍は次第に押されて、そのうちになくなるのではないか」とも囁かれたことがある。

 確かに、書籍に限らず、雑誌にしろ新聞にしろ、その部数は減少傾向にあるのかも知れません。しかし、すっかり消えてなくなるということは(少なくとも当面は)ないような気がする。

 私も時々、電子書籍をダウンロードして、スマホや ipad で読むことがある。端末をカバンに忍ばせて、病院の待合時間などにさっと読むには、何冊入れてもかさばらず、便利だと思います。

 ところが、読んでみて、どうもしっくりとこないところがある。「何が、どう、しっくりこないのだろう?」と考えてみて、一つ思いつくのが、「電子書籍には重さと厚みがない」ということなのです。

 「タブレットの重さはあるではないか」とは言えます。しかしそれは、書籍そのものの重さではない。私たちがこれまで慣れ親しんできた紙の書籍には、それぞれ特有の重さと厚みがあります。長編小説なら上中下巻に分かれ、しかもそれぞれにも相当の重みと厚みがある。「これは読みごたえがあるぞ」と、読む前からぞくぞくする。

 反対に、新書は軽く薄い。新書はその手ごろな薄さがいいのです。「2、3時間で一つのテーマがすんなり頭に入るだろう」というお手軽感が魅力です。

 そして、どんな本でも、「この本を開いた左右のバランスからすると、残りは後3分の2。残りが後3分の1になる頃には、物語に思いがけない展開が待っているかも知れない」などと、半ば無意識的に考えながら読んでいる。

 つまり、紙の本というのは、その中に文字で書かれたコンテンツだけでなく、本としての重さであるとか、紙質や紙の厚さなど、物理的に読者に伝わるさまざまな情報を持っている。

 ところが、電子書籍にはそれがないのです。どの本を読んでも、手に感じられるのは、いつもタブレットとしての同一の重さと厚みでしかない。今どこまで読み進んだか、画面の下に表示されるスケールを見ればほぼ分かりますが、身体的な感覚としては感じられない。

 だから、この本はあとどれくらい読めば読了するのか、どの辺りで作者は筋書きの急展開を用意しているのか、などといったことが、直観的には分からないのです。まるで、海図のないまま船で海を漂っているような感じがする。

 同じ本なら電子書籍の方が若干安価だというメリットはあります。しかし、じっくり読みたい本なら、どうしても紙の本に手が出てしまうのです。『街場の文体論』(内田樹著)を読んでいると、同じテーマが出てきて、紙の本が持つ良さの第一の理由は、私の考えとほぼ同じ、でもよほど巧みな表現で、こう説明しています。

 「実際には、手に持った本の項をめくりながら、手触りや重み、掌の上の本のバランスの変化、そういう主題的には意識されないシグナルに反応しながら、無意識的に自分の読み方を微調整しているんですから。その作業は微細すぎて、読んでいる本人も自分が何をしているのか、気がつかない」

 ところが、内田さんは紙の本が持つもう一つの魅力についても指摘していて、「これって、ちょっと穿っているけど、面白いな」と思ったのです。

 どういう魅力かと言うと、「この本とは運命的に出会ったという『物語』」 表現は少し大袈裟ですが、本を読む人はこういう「物語」を無意識的に願っていると言うのです。

 電子書籍の場合は、「読みたい本」があって、それをアマゾンか何かで検索して、ダウンロードする。謂わば、「実需要」が先にある。ところが、私にとって本当に読むべき本とは、偶然を装って宿命的に出会わなければならない。「何か良い本はないかな」と思いながら、ふらりと本屋に入って書棚の前をゆらゆら歩いていると、「本と目が合った」という体験をする。

 本の方から私の目に入って来て、「私が今日、あなたの読む本ですよ」と語りかけてくれる。

 「特定の本が、私にだけ語りかけてくれた」という宿命的な出会い。これが本との出会いの醍醐味だというのです。

 しかし、これはやはり、ちょっと大袈裟ですね。すべての本に、こんなふうに出会っているわけではない。それでもある面、私のこれまでの読書遍歴を少し正当化してもらえるようなところがあって、嬉しい気もする。

 私の読書は、あまりきちんとした系統がない。かなり行き当たりばったりで、時々本屋をめぐっては、面白そうな本を探す。前に読んだ本が面白かったから、それの発展形のような本を探すときもありますが、大抵は書店員が目立つように並べておいた本から物色する。

 読んでみて、「失敗だったな」と思う本も多いが、時々面白い本にヒットする。それを「運命的に出会った物語」と表現すれば、私の読書遍歴にもそれなりの意味があったと感じることができます。

 今読んでいる『街場の文体論』はネット見つけて、アマゾンで買ったものです。本屋での出会いではないが、私のアンテナがネット上で検知したという「物語」がなくはありません。

 そしてこの本、電子版はなかったので、紙の本を注文したのですが、やはりこれは紙の本でないとだめですね。

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