ワシントン・タイムズ・ジャパン

髪の毛が黒くないと学ぶ権利すらない「校則」の意義とは?

 学校の校則の意義が問われる事件が、国内だけでなく海外にまで報道されました。
 生まれつき髪が茶色なのに、教師に髪を黒く染めるよう何度も強要され、不登校になった大阪府羽曳野市の府立懐風館3年生の女子生徒が、慰謝料など計約220万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしました。髪の色が黒色でないからと、授業に出席することも、修学旅行などの行事に参加することも許されなかった女子生徒への扱いに対して、批判の声が多く上がっています。

●理解し難い時代遅れの日本教育
 女子生徒の母親は入学前、学校に地毛であることを伝えていたのですが、学校側は「その髪色では登校させられない」として黒染めを求めました。女子生徒は髪を黒く染めるようになったのですが、2016年春ごろには染めすぎで頭皮が痛くなるようになってしまいました。母親は、幼少期の頃から髪の色素が薄いことを証明するために写真も提示したのですが、学校側は「1度黒く染めていた生徒は続けるのがルール」と主張。高校入学時の生徒証の写真撮影の際に教師から茶色ではだめだと言われたため、黒色に染色をしました。昨年9月には4日に1度、黒く染め直して登校していましたが、教師に「アウト~」、「黒くしないなら学校に来る必要はない」などと言われたそうです。文化祭や修学旅行への参加も認められず、旅行のキャンセル料も請求されました。

 女子生徒は何度も染色を繰り返していたため、頭髪がボロボロになって色素が抜け、2年生の夏休みの登校日に少し茶色に染め直してきたところ、教師に厳しく問い詰められ、帰宅後、過呼吸に陥りました。その後、女子生徒は不登校となり、母親は弁護士を交え学校側と協議をしました。今年4月、女子生徒が登校を試みるとクラス名簿には自分の名前がなく、席もなかったそうです。

 学校側は母親との面談で、「金髪の外国人留学生でも規則通り黒く染めさせる」といった説明を行い、生まれつきの髪色だとしても「黒色にするのがルール」と受け入れることはしませんでした。このような指導の理由を、「茶髪の生徒がいると学校の評判が下がるから」だとしています。

 女子生徒側の主張としては、「黒染めの強要は生まれもった身体的特長を否定するもの。著しく不合理で教育上必要とはいえない」とした上で、「生徒指導の名のもとに行われたいじめ」だとしています。

 この件はニューヨーク・タイムズやBBCでも報道され、先進国であるのにグローバル時代に遅れている発想だとする非難の声があがっています。

●学校教育のありかた、教師への教育を見直すべき
 地毛が茶色で生まれ持った髪色なのに学校でそれを否定され続けるというのは多感な時期の女子生徒にとって相当辛い経験だったでしょう。それでも2年近く耐えてきた辛抱強さには驚かされます。その間に転校は考えなかったのか、入学前に黒髪でないとだめだと言われたのであれば、他の学校に入学することは考えなかったのかと疑問は浮かびますが、何かしら事情があってこの学校で学ぶしかなかったのかもしれません。手立てのない生徒に対して、学校側の事情しか押し付けない教師の指導は理解しかねます。生徒の事情を全く理解しようとせず、学校のイメージや、生徒に対する教師の偏見でしかない学校側の言い分に、教育現場の課題が見えてきます。

 教師一人ひとりの仕事量は高校にもなると相当負担が大きいようですが、生徒を指導、教育していく立場として、生徒との対話を持たず、ただ校則やルールを押し付けるだけの行動は、指導でも教育でも何でもありません。現代社会は多様化していて、障害を持った人から、性的マイノリティの人まで平等に扱うことが認められています。学校で学ぶことは学問だけでなく、社会のルールも学ぶ場でもあります。確かに会社や地域自治体によってルールは必ずあり、特例も許さないという厳しいケースもあります。それを教えることも大切かもしれませんが、学校では多様性を認めるようになった社会を、生徒や学生に対して受け入れるような教育をします。個々人を尊重する世の中であることを強要する現代の教育なのに、生まれ持っての身体的特長のために校則が守れないことに対して校則を強要する行為は全く個人を尊重するものではなく、前時代的な全体の統制を図るための時代遅れな教育だと捉えられます。例え外国人留学生でも黒に染めるという発言は、海外からの批判を買うのは当然のことです。

 学ぶ機会が平等に与えられているはずなのに、身体的特長によって校則を守れないというだけで学ぶことすら許されないこの学校の教育に、同じ国民としても理解しかねます。校則から外れれば学ぶことが許されないということは、社会のルールから外れれば生きることすら許されない、というような価値観を生徒に強要していることに他なりません。多様化を認める社会であるなら、学校も生まれつきの身体的特長に多様性のある校則に変化していくべきではないでしょうか。

 また、校則に外れているからといって生徒個人を見ようともしない教師が多いことが問題のひとつです。教師への教育も見直すべき課題のひとつだと思います。問題が起きてからでないと変化が起きないことは悲しいですが、今後、この女子生徒のような生徒が出てこないよう学校教育の在り方を見直してもらいたいものです。

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