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人口減少社会を超えて 第2部・戦後人口政策の誤り rss

結婚したい若い男女は9割

 作家の山本肇さんが、「戦時中の『産めよ、殖やせよ』のスローガンは旧約聖書の聖句がもとになったもので、本来は富国強兵だけの意味ではなかった」とその著『少子亡国論』で指摘している。

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「少なく産み大事に育てる」が定着

 第1次ベビーブームのピーク時の誕生270万人(1949年)よりはすこし少ないが、71(昭和46)年から74(同49)年までに年間210万の新生児(団塊ジュニア世代)が生まれた。最近2、3年の出生数の倍以上の勢いだった。

 しかしそこが出生数のピークで、以後、大都会を中心に「少なく産んで大事に育てる」という出産傾向が続き、出生数は激減していった。

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出生率「1・57ショック」、「独身女性王国到来」と朝日

 「『生涯出産』最低の1・57人」

 1990(平成2)年の各紙1面に、この統計数字が躍った。前年の89(同元)年は出生率1・57となり、昭和41年の丙午(ひのえうま)時を0・01下回り史上最低の出生率を記録したことを伝えた。後に言う「1・57ショック」だ。出生率低下の顕在化は、一般国民にも大きな衝撃だった。

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人口会議で「子供は2人まで」、警告に逆行する74年決議

 1974(昭和49)年7月、東京・霞が関の国立教育会館で開かれた第1回「日本人口会議」で、子供の出産数の制限を呼び掛け「子供は2人まで」という趣旨の前代未聞の決議がなされた。ほかに人口庁の設置やピル、IUD(避妊リング)公認などの要望も採択された。人口問題研究会、日本家族計画連盟など民間4団体が共催して開かれたもので、旧厚生省や外務省が後援・協賛していた。

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朝日のサンガー女史礼賛

 わが国の女性が一生涯で平均何人の子供を産むかの指標は「合計特殊出生率」(以下出生率)と呼ばれる。人口の増減の大きな指標の一つが出生率で、終戦直後1947~49年の「第1次ベビーブーム」時は4・3を超えていた。1組の夫婦に子供が4人以上いることが当たり前だった。

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2011年は人口減少社会の始まり

 急速に進むわが国の少子高齢化。その出発点には、「子供2人」を国民に要請するなど、長く人口抑制に努めてきた戦後の人口政策があり、社会の変化や人々の価値観やライフスタイルの変化がある。第2部では、戦後の人口政策の誤りを摘出する。 (人口減少問題取材班)

 「3人以上の子供を産み育てていただきたい」「いくら努力しても子供に恵まれない方々がおり、そういう方々のために3人以上が必要だ」

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