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石川 佐智子
石川 佐智子
元・公立中学教諭
久保田 信之
久保田 信之
教育評論家
太田 和宏
太田 和宏
地方・教育部長
杉原 誠四郎
杉原 誠四郎
教育研究者

加藤 隆 rss (教育)

ライター一覧
加藤 隆

昭和31年(1956年)北海道生まれ。北海道教育大学大学院修了。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。小学校教諭。光塩学園女子短期大学助教授、北翔大学教授を経て2013年より現職。著書に「美しい刻」(アートヴィレッジ)、共著「北海道教育関係質疑応答集」(ぎょうせい)など。

量子力学が変えた科学的常識

名寄市立大学教授 加藤 隆

 15年ほど前のことだが、教育関係者の会合の中で、私が魂の大切さに触れた時に、ある大学の教員から、なに宗教じみた主張をしているのか、魂などという非科学的なことを、と批判めいた発言があったのを覚えている。彼にしてみれば、人間や教育の営みも科学的に捉えなければいけないのだと強い信念を持っていたのだろう。

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西郷隆盛の生きざまに学ぶ

名寄市立大学教授 加藤 隆

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「死んだらおしまい」なのか

名寄市立大学教授 加藤 隆

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少産多死社会を迎える日本

名寄市立大学教授 加藤 隆

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先人から学ぶ人間の本質

名寄市立大学教授 加藤 隆

 大都市への集中的な人口流入は衰えを見せず、他方で、20年後には全国1800地方自治体の半分が存続困難になると予測されている。このような二極化現象は、単に日本ばかりではなく、近代的産業国家を成し遂げた西欧諸国でも同じような光景を見ることができる。人々は故郷に背を向けて大都会を目指すのである。

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幕末に見る「触媒」の重要性

名寄市立大学教授 加藤 隆

 勝海舟はわが国で最初に讃美歌訳をした人物であることをご存じだろうか。「ローフ・デン・ヘール」(主を誉(ほ)めよの意)というオランダ語讃美歌を訳している。彼はまた、1860年(万延元年)に咸臨丸の艦長としてアメリカに渡ったとき、遣米使節団とは別行動をしてサンフランシスコにとどまり、毎週のように日曜礼拝に出席していたことを後年回顧している。

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新島襄と高山右近の生き様

名寄市立大学教授 加藤 隆

 幕末の鎖国令下にあって日本を密出航した人物がいる。新島襄である。また、それより前の江戸時代が緒に就いたころ、日本から国外追放された人物がいる。高山右近である。当時の厳しい封建社会から想像するに、日本から海外に出るということは、死を賭した一大決心であったに違いない。彼らが日本を離れる前後に書き残した文章に触れながら、胸奥に秘めた思いを味わいたい。

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「信じること」に満ちた現代

名寄市立大学教授 加藤 隆

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前近代の教育が教えること

名寄市立大学教授 加藤 隆

 近代国家を目指して日本が邁進(まいしん)していた明治の終わり頃、期せずして、内村鑑三と新渡戸稲造は教育に関して同じ警鐘を発している。

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リアリズムより重要なこと、人に希望や楽観は必要

名寄市立大学教授 加藤 隆

 ある雑誌に司馬遼太郎の文章を引用して、日本社会の持つ危うさを論じているコラムがあった。中身はこうである。

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生命は身体だけに非ず-科学の波に抗った女性学者2人

名寄市立大学教授 加藤 隆

 1960年代は地球規模の経済発展に沸いていた時代である。アメリカの好景気とヨーロッパの経済統合の進展、戦後復興を遂げた日本経済も急速に拡大し、驚異的な高度経済成長とそれを下支えする科学技術への信頼に輝いていた時代である。このような60年代にあって、時代の波に抗(あらが)いながら異彩を放った女性をアメリカとイギリスに見いだすことができる。一人は、『沈黙の春』で環境問題に人々の目を向けさせた海洋生物学者レイチェル・カーソンであり、もう一人は、世界初のホスピスを創設し、終末期医療に人々の目を向けさせたイギリス人医師シシリー・ソンダースである。

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ヒューマニズムの光と闇

名寄市立大学 加藤 隆

 ヒューマニズム。我々日本人の耳に心地よい響きがある。「人間主義」「人道主義」などと訳される。大多数の国民が「無宗教」と自己を規定する国柄であれば、人間が何よりも中心を占め、国民主権が思考の出発として捉えられるヒューマニズムという価値観は、わが国の国民精神の強固な岩盤に間違いない。「人間尊重の精神」の育成は戦後民主教育を一貫する支柱であり、マスコミが連日報道する人道的立場からの難民や弱者への医療支援や生活支援の姿に共鳴する日本人は多い。

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時代を開く「愚か者」であれ

名寄市立大学教授 加藤 隆

 スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、最後に「Stay hungry, stay foolish」(ハングリーであれ、愚か者であれ)という言葉で結ばれている。世界を席巻するアップル社の創業者が、若者に向かってハングリー精神で進めというのは分かる。しかし、次には愚か者であれと語るのである。

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戦後70年の問題は明治から

名寄市立大学教授 加藤 隆

 戦後70年ということが至るところで取り上げられ、メディアでもいろいろな特集が組まれている。以前、ひめゆり学徒の手記を読んだことがあるが、潜んでいた壕にガス弾攻撃があり、阿鼻叫喚の中、大半の教師学生が亡くなる。自身も気を失い3日目に意識が戻ると、たくさんの死体の下に埋もれており、その死臭に堪えられなくて壕から出てしまったという。この証言のように、一人一人の身体と五感を通り抜けた「戦争」「第2次大戦」「平和」に深く思いを致さなければならない。

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浦上キリシタンの告白150年

名寄市立大学教授 加藤 隆

 今年はキリシタンの歴史の大きな節目に当たる。禁教下の幕末にあって、フランス人のために建てられた長崎大浦天主堂に浦上の隠れキリシタンたちが密かにやって来て、「ワタシノムネ(宗)、アナタトオナジ」 と信仰告白してから150年の記念の年に当たる。1865年(元治2年)のことである。

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医療観に「いのちの物語性」

名寄市立大学教授 加藤 隆

 半年ほど前のことだが、とても印象深い映画を観た。胎内記憶を持つ子どもたちを丁寧に取材してドキュメンタリー風にまとめた「かみさまとのやくそく ―胎内記憶を語る子どもたち―」という映画である。

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物で解決しない子供の貧困

名寄市立大学教授 加藤 隆

 「こどもの日」の5月5日が過ぎたが、明るい響きとは裏腹に、子どもの貧困が日本社会に広がっている。世間では株価2万円、春闘ベア最高水準の新聞見出しが躍る一方で、人知れず貧困に直面している子どもが増えている姿は尋常ではない。なぜ子どもの貧困が増加しているのだろうか。その事実経過と、問題の底流にあるものを考えてみたい。

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大賀ハスに学ぶ教育と歴史

名寄市立大学教授 加藤 隆

 大賀ハスと呼ばれるハスの花がある。千葉市検見川にある縄文時代の落合遺跡で昭和26年に発掘された古代ハスのことである。発掘当時、翌日で打ち切りという日の夕刻になって、ボランティアの女子中学生によりハスの種3粒が発掘されたことがすべての始まりである。発掘に関わった植物学者である大賀一郎は発芽育成を府中の自宅で試み、2粒は失敗に終わったものの、最後の1粒は翌年の昭和27年7月にピンク色の大輪の花を咲かせた。実に2000年ぶりに目覚めて開花したのである。

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「息を引き取る」なにがしか

名寄市立大学教授 加藤 隆

 「息を引き取る」という言葉がある。人が亡くなる際によく使われる言い方だが、考えてみると不思議で意味深い日本語ではないだろうか。このことの背景にある精神性について少し考えてみたい。

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根本精神曖昧な教育基本法

名寄市立大学教授 加藤 隆

 戦後の道徳教育は、一貫して「人間尊重の精神」を基調として展開してきた。学習指導要領の記述に「道徳教育の目標は、教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神に基づく。すなわち、人間尊重の精神を一貫して失わず…」と明文化されるようになったのは昭和33年のことである。

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笑いとユーモアの教育論

名寄市立大学教授 加藤 隆

 笑いやユーモア感覚を持つことの医学的な効果について、国内外での認知が広がっている。その先駆的人物である著名なジャーナリストのノーマン・カズンズは、著書「笑いと治癒力」の中で、笑いの効用と自身の難病克服を語っている。また、最近では、筑波大学の村上和雄名誉教授による研究などにより、人間の持つ自然治癒力が笑いによって活性化すること、笑うことで人間の遺伝子の働きがプラス方向に変化することを解明している。

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「コミュニケーション」に思う

名寄市立大学教授 加藤 隆

 コミュニケーション能力の向上ということを最近よく耳にする。とりわけ、児童生徒や若者に対して強く主張されている。学校教育での能力の向上の充実は言うに及ばず、昨今では企業が採用選考にあたって重視する項目の第一がコミュニケーション能力となっている。また、巷(ちまた)では同種の能力開発講座がさかんであり、広告には「親子のコミュニケーションが図れるグッズ」と銘打った商品が並んでいる。まさに、世間ではコミュニケーション能力啓発が活況を呈している。

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ホリスティック教育の薦め

名寄市立大学教授 加藤 隆

 先日、ターミナルケア(終末期医療)についての講演会に出席する機会があった。その中で演者が印象的な指摘をしていた。いのちには二種類あるというのだ。一つは、「生物的いのち」。つまり、従来の医療が主として取り扱ってきた次元である。そこにはA薬が効果的だとか、B手術が有効であるという、患者個々の人間像が前面に出るのではなく、没個性的に生物的身体的病状から捉えて適切な処置判断を施すことを是とする態度が見えてくる。

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