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太田 正利 rss (元外交官)

ライター一覧
太田 正利

昭和6年(1931年)東京生まれ。(旧制)一高を経て昭和28年東大教養学科卒、米ブラウン大学留学、31年東大大学院。同時に外務省入省。ロンドン大学院留学。平成5年、杏林大学・大学院教授、東海大学講師等。

新ミャンマーの出発に思う

評論家 太田 正利

 一寸遡ることだが、去年11月8日のミャンマー総選挙で、アウン・サン・スー・チー党首が率いる野党である国民民主連盟(NLD)は歴史的な勝利を得た。すなわち、上下両院(定数合計664)の改選議席491議席中、390議席まで伸ばし、過半数を制したのだ。他方、軍事政権の流れをくむ政権与党である連邦団結発展党(USDP)は獲得数42という惨敗だった。当時のテイン・セイン大統領の任期は本年3月末までで、事実3月30日には、NLD党員のティン・チョー氏を大統領とする新政権が発足した。スー・チー氏は、国家最高顧問、外務大臣及び大統領府付大臣に就任した。

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中国語教育が及ぶアフリカ

評論家 太田 正利

 アフリカにおいて、20世紀後半には、欧州諸国の植民地化が徐々に衰退し、多くの国が独立していった。それまでの経過をたどると、同大陸は、英、仏、独(第一次大戦まで)、伊、ポルトガルなどの欧州諸国により分割されていった。(筆者の専門とする)南アフリカは、オランダ、次いで英国に支配されていた。当時、タンザニア、ザンビアを通る「タンザン鉄道」というのがあった。いうまでもなく、中国主導の鉄道だが、故障等問題があった。

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南・東シナ海の中国人工拠点

評論家 太田 正利

 中国による東シナ海のガス田開発がらみの海洋施設建設の実態が明らかになってきた。そもそも、日中両国は、既に2008年に日中の中間線に隣接する白樺ガス田を共同開発し、中間線を跨ぐ特定海域を共同開発区域とすることについて合意していた。然るに中国は2010年に合意実現に向けての条約交渉を延期し、中断したままになっている。当然のことながら、先方に対し、開発を中止し交渉の早期再開を求めることが必須である。かかる実態を事情に通じていない国際社会に幅広く訴え、そのような動きを牽制する必要があるからだ。事実、中国側は交渉に応じないのみならず、近年、開発を加速させているほどだ。

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安全保障関連法案の成立を

評論家 太田 正利

 延長した通常国会でも安全保障関連法案審議の与野党の攻防が続いている。日本の防衛政策は画期的な転機を迎えており、なお法案は難産の過程にある。断続的に審議中断の挙に出ていた野党は、自民党議員の失言に追及を加えての世論戦をも挑んでいる。が、この法案成立の暁には、「専守防衛」を基本とする日本の安全保障政策は大転換を経験することになる。

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評価すべきG7での安倍外交

評論家 太田 正利

 6月7日からドイツ南部のエルマウ城で開催された先進国7箇国首脳会議(G7サミット)における首脳同士のやりとりは、日本が国際政治におけるプレーヤーになったことを示す。つまり、ここに日本の新しいイメージが生まれたとも言い得よう。

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憲法改正待ったなしの時代

評論家 太田 正利

 憲法改正については筆者も何回となく論じてきたところだが、最近になって多くのメディアも声を大にしてこの問題を論じている。5月3日、「民間憲法臨調、美しい日本の憲法をつくる国民の会」による第17回公開憲法フォーラムに筆者も代表委員の一人として出席した。

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スマホの代わりに文庫本を

評論家 太田 正利

 「デカンショ、デカンショで半年暮らしゃ…」とは旧制高校でよく唄われていたもの(因(ちな)みに、これは、デカルト、カント、ショーペンハウワー)だが、今や「スマホ、スマホで毎日暮らす…」になっているようだ。

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北方領土問題に心を添えよ

評論家 太田 正利

 2月7日は「北方領土の日」だった。「よき敵ござんなれ」――筆者が子供の頃年号を憶えるのによく使っていた手法(!)だが、1853年は、ペリー提督率いる米艦隊の浦賀沖への突然の出現(「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった四杯(四隻)で夜も寝られず」と揶揄(やゆ)される程の大騒ぎを起こした)の年だった。今回は、案外忘れられているように見える「北」の熊の問題を提起しよう。実は徳川時代からこの方面も必ずしも静謐(せいひつ)な状態にはなかった。

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日本は日本たる王道を歩め

評論家 太田 正利

 12月14日の衆議院選挙において自民党は圧勝した。当初、「何のための解散か」という論調も見られたが、結果は呆気なかったという感すらあった。当選者数だけを見ても自民291(マイナス4)、民主73(プラス11)、維新41(マイナス1)、公明35(プラス4)という具合だが、共産党の躍進21(プラス13)が目立った。「自公圧勝」というのが正直なところだろう。12月16日付の「夕刊フジ」を寸見したところ、「安倍長期政権は最悪結果」とか「落胆と戦慄」という表現が目に飛び込んできて驚いたが、良く見るとこれは中韓両国の反応を指しているのだった! ただ、沖縄だけは違っていた。すなわち、辺野古反対派の候補が小選挙区で当選し全選挙区を制するという結果になった。

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前大戦の史的意義の再検討

評論家 太田 正利

 12月8日の真珠湾奇襲で始まった日米戦争……実はその前に多くの前提があった。戦後日本人が刷り込まれた史観は、すべて日本の軍国主義が悪いというもので、現在に至る迄かかる史観に毒されている向きがある。確かに、所謂(いわゆる)「支那事変」では日本軍が内陸に引き込まれ過ぎて解決が見えず、“クワグマイヤ(quagmire=泥沼)”に陥っていったのだ。

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憲法改正を政治の日程に

評論家 太田 正利

 秋も深まる11月だが、今の世代の人は11月3日というと何をイメージするだろうか。筆者の年代だと「明治節」(明治天皇誕生日)だが、同時にこの日は日本国憲法の発布日、1946年のことだ。この憲法はその後一度も改正されたことがなく、「世界最古の憲法」とか「不磨の大典」などと揶揄(やゆ)されている有様だ。憲法と現実との乖離(かいり)はますます拡大しており、大規模自然災害、地球規模での環境破壊、さらには他国による軍事的脅威などわが国を囲繞(いじょう)する安保環境の変化等々、わが国は憲法が当初想定していなかった危機的情況に直面していると言って過言ではない。

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アフリカ支援に環境配慮を

評論家 太田 正利

 最近「三菱商事」がアフリカで油田の探鉱権を取得し、その事業費は8000億円と報ぜられた。既得権益を有する企業として、三井物産(モザンビーク)、伊藤忠(ナミビア)、国際石油開発帝石(アンゴラ)等を挙げ、三菱商事はコートディヴォアールにも進出している(日経9月12日)。

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国連「敵国条項」史観克服を

評論家 太田 正利

 暑い夏日の8月15日(1945年)は、「大東亜戦争」(アメリカ風に言えば太平洋戦争)終戦の「詔書奉戴記念日」で、日本によるポツダム宣言受諾の発表日だった。(当時、朝からのラジオ放送は12時に重大放送があると繰り返していたが、まさか敗戦とは中学3年の筆者も想像していなかった)。事実上の戦闘終結(ソ連がらみを除く)だが、真の終戦は降伏文書の署名、調印が行われた9月2日だった。すなわち、同日東京湾に入港していた戦艦ミズーリ号艦上で、マッカーサー最高司令官及び連合国各国代表と日本側重光・梅津両全権との間で降伏文書の調印式が行われたのである。

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中国を利する「琉球」学会

評論家 太田 正利

 南太平洋において、ヴェトナムやフィリピンが中国とそれぞれの海域の諸島を巡って紛争を生じている。この問題は他人事ではない。第2次大戦の頃は「新南群島」として日本では自国領土・領海と認識されていたのである。何が領土・領海であるかは、国際法に照らして判断されるべきものだが、問題は複雑怪奇としか言いようがない感じがする。わが国については、先の「尖閣列島」問題では国民の認識が深まり、いまやその列島の日本所属については確たる信念を持つに到っているようだ。

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日本海海戦を称賛した国々

評論家 太田 正利

 先月桑港(サンフランシスコ)条約に言及したが、今回は明治時代に帰りたい。西欧勢力に脅かされながらも、わが国は年来蓄積されてきた叡智によりこれを克服し、徳川の封建社会から世界に向けて明治の時代を切り開いた。しかしながら、華夷秩序から離脱せず旧態依然たる朝鮮半島をめぐって起こった明治27~28年の日清戦争の勝利の結果には、「朝鮮が完全な独立国たることの確認」、「遼東半島、台湾、澎湖島の割譲」等々があった(ただ、遼東半島については、露仏独による「三国干渉」の結果、日本が苦杯を舐めたのは有名で、日本は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)―越王勾践(こうせん)の故事による―」を心に誓い、日露戦勝の後、遼東半島の一部は日本の租借地として日本が統治することとなった)。

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講和条約の発効を想起して

評論家 太田 正利

 わが国には多くの記念日があり、学校も休みなので楽しみにしている向きも多い。ただ、4月29日は旧「天長節」(昭和天皇誕生日、現・昭和の日)で祝日だが、28日は何の日か。何%の人々がその日の認識があるのか。だが、忘れもしない。まさに、新生「日本国」の誕生日で、戦争体験(と言っても「銃後の護り」に就いただけ!)を有する最後の年代を代表する筆者にとっても忘れ難い日なのだ。

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江戸城天守を見上げる五輪を

評論家 太田 正利

 2020年の東京オリンピック――前回の1964年には池田内閣の末期で、競技場等の施設整備、東海道新幹線と東京モノレールの開業、東京国際空港のターミナル、首都高速、環七通りの整備等のインフラ、ホテルニューオータニ、ホテルオークラ等々の宿泊施設の増設・整備等々――は、まさに戦後日本を象徴する復活東京を世界に誇示し得るものであった。金メダルも、米(36)、ソ(30)、日(16)と世界に誇示し得る第3位の成績だった。

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「靖国」不戦の誓い積極発信を

評論家 太田 正利

 昨年末の安倍総理による靖国参拝に対し、中韓両国がまたまた問題にしているようだ。もううんざりで、いい加減にしてもらいたい。ここでは、所謂(いわゆる)「A級戦犯」が合祀(ごうし)されており、軍国主義の象徴と見られているからだ。そもそもA級戦犯とは過激なイメージが強く、一番罪が重いと誤解されやすいが、これは誤り。戦争指導に当たった国家指導者という、そもそもカテゴリーの問題であり、A級だったが、実際に被告にならなかった岸信介元総理(安倍総理の御祖父)も含まれていた!

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マンデラ元南ア大統領を悼む

評論家 太田 正利

 ネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領の訃報に接し、多くの感慨がこみあげてきた。筆者がアフリカにおいて個人的に親しかったのは、カウンダ大統領(ザンビア)、デクラーク大統領とムベキ大統領(ともに南アフリカ)だが、特別なのはマンデラ氏で、最初に会った際には大統領どころか、収容所から解放されたばかりの元囚人だった。したがって、彼にとっても筆者が最初に会った日本人ということになる。

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再来する東京オリンピック

評論家 太田 正利

 「前畑頑張れ、前畑頑張れ……」の絶叫、次いで「前畑勝った、前畑勝った、前畑優勝、前畑優勝……」。200メートル平泳ぎ決勝――1936年ドイツのベルリン・オリンピック「民族の祭典」――の実況放送(河西三省アナ)だ。ドイツのマルタ・ゲネンゲルと前畑秀子(結婚後兵頭)との決戦で日本は沸きに沸いた。

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