
昭和43年(1968年)熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。防衛庁陸上自衛隊、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)などを経て、現在、拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授、同大学防災教育研究センター副センター長、一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長を務める。著書に『日本版 民間防衛』(青林堂)、『戦国の城と59人の姫たち』(並木書房)、『日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理』(育鵬社)、『だれが日本の領土を守るのか?』(たちばな出版)、『探訪日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。
佐野常民と日本赤十字社の創設
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
日本赤十字社(以下、日赤)は、明治10(1877)年に起きた西南戦争に際し、佐賀藩出身の佐野常民が敵味方の区別なく負傷者を救護するために熊本洋学校に設立した博愛社に始まる。

急がれる「防災・減災」対策の強化ー専門家と県知事が提言
日本は今、新型コロナウイルス感染拡大防止に最優先で取り組んでいるが、一方で、いつ大規模な自然災害が起きてもおかしくない災害大国でもある。それ故、緊急事態に備えた防災・減災対策の強化も急がねばならない。そこで、濱口和久拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授が2011年の東日本大震災を経験し指揮した村井嘉浩宮城県知事と教訓を踏まえつつ具体策を語り合った。

濱口梧陵の国防意識と「大陸経営論」
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
今年は濱口(はまぐち)梧陵(ごりょう)生誕200年ということで、2月27日の本欄で「『稲むらの火』の教訓と濱口梧陵の功績」というテーマで寄稿した。6月には和歌山県広川町で梧陵生誕200年の記念式典などの行事が予定されていたが、新型コロナウイルス感染防止のために延期となった。筆者も広川町で記念講演を行う予定だった。

古文書が伝える災害の教訓
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
大海人皇子は、天武天皇元(672)年に起きた古代日本最大の内乱である壬申の乱を勝ち抜き、天武天皇として即位する。そして、天武天皇が編纂(へんさん)を命じ、養老4(720)年に完成したのが『日本書紀』だ。
『書紀』が記す巨大地震

日本とトルコ 130年の絆
拓殖大学防災教育研究センター長 特任教授 濱口 和久
トルコは親日国家と言われている。しかし、最初から親日国家だったわけではない。今から130年前の9月に起きた海難事故がきっかけだ。
エルトゥールル号沈没

令和2年7月豪雨と防災体制の脆さ
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
最近、気象庁の予報官が行う会見で、よく耳にするのが「50年に1度のこれまでに経験したことのない大雨が降る恐れがあります。命を守る行動を取ってください」という発言だ。

領土守る気概示したサッチャー英首相
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
日本の領土でありながら半世紀以上にわたってロシアと韓国に不法占拠されている国土がある。北方領土と竹島だ。いずれも戦後のどさくさまぎれに占領されたものである。

ソ連の北海道占領計画と樋口中将の決断
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
近年、樋口季一郎陸軍中将の功績を後世に伝える運動が起きている。9月には、北海道古民家再生協会が中心となり、石狩市に樋口中将の記念館がオープンする。写真や資料などが展示される予定だ。今春、孫の樋口隆一明治学院大学名誉教授が遺稿集『樋口季一郎の遺訓 ユダヤ難民と北海道を救った将軍』(勉誠出版)を刊行した。

鈴木貫太郎に学ぶ首相の重責
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
阪神・淡路大震災の時の村山富市首相、東日本大震災の時の菅直人首相、今回の武漢ウイルス対応に追われる安倍晋三首相。リーダーは常に孤独であり重要な決断を迫られる立場にある。そして、歴代の首相の中でも、大東亜戦争を終戦に導いた鈴木貫太郎の重圧は並大抵ではなかっただろう。本稿では鈴木貫太郎を紹介し、首相の重責について考えてみたい。
称賛された武士道精神

日本人が忘れてならぬ硫黄島の戦い
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
東京都内から南へ約1200㌔の距離にある小笠原諸島南端近くに位置する硫黄島は活火山の火山島であり、島内の至る場所で硫黄独特の臭いが立ち込めている。広さわずか20平方㌔余りの小さな島には、海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれ、基地関係者以外は立ち入りが制限されている。私は防衛大学校学生の頃、春の訓練で訪れたことがある。
日本軍上回る米軍被害

阪神・淡路大震災の教訓活かそう
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
現代の日本人が「大震災」と聞いて思い出すのは、兵庫県南部地震によって引き起こされた「阪神・淡路大震災」と東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた「東日本大震災」だろう。今年の1月17日で阪神・淡路大震災から25年が過ぎた。東日本大震災からも今年の3月11日で9年が経(た)つが、本稿では、阪神・淡路大震災が残した教訓について述べる。

日本軍はノモンハンでいかに戦ったか
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
今年はノモンハン事件から80年目となる。そのため、ノモンハン事件に関連する書籍が数多く出版されている。10月7日の本欄でも、中澤孝之氏が「ノモンハン事件から80年」と題して書かれていた。中澤氏は日本軍敗北論の視点で書かれていたが、私はここで、日本軍は互角に戦ったとする視点でノモンハン事件について述べたい。
ソ連崩壊後に真実判明

再認識される消防団の必要性
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
火災の消火活動や、全国各地で地震や風水害(気象災害)などの災害が起きた場合、消防団が出動する。今後、首都直下地震や南海トラフ地震などの大地震(大震災)が数十年以内に起きることが懸念されている中、消防団を中核とした地域防災力の向上が求められている。消防団員は地域住民で構成され、普段は別の職業を持ち、身分は非常勤の特別職地方公務員である。

日本人が忘れてならぬソ連の蛮行
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
日本軍は昭和20(1945)年8月15日(終戦の日)に戦闘を停止し、同時に武装解除した。その1週間前の8月8日、突如、日本にソ連は宣戦布告。ソ連軍は9日早朝から満州・樺太などへ一斉に侵攻し、終戦日から3日後の18日には千島列島の北端にある占守島にも侵攻を開始。

防災コストと「国難」への備え
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
首相官邸で6月11日、大規模災害に備えた国土強靭(きょうじん)化推進本部会合が開かれ、今年度の「国土強靭化年次計画」が決定された。

国を守るという意味
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
日本ではスイスを非武装中立国と思っている人が多い。しかし、スイスは武装中立と徴兵制(国民皆兵制)を国防戦略の基本に据えている。

自衛隊、頼れる「最後の砦」
平成という時代が終わろうとしているが、この30年間で、自衛隊を取り巻く環境は大きく変わった。
国内では雲仙普賢岳噴火後の災害派遣を皮切りに、常に災害現場に自衛隊がいる。また、イラク戦争後のペルシャ湾への海上自衛隊掃海部隊の派遣を皮切りに、国際貢献活動も新たな任務となった。
