■連載一覧
  • どこへ行く混迷・韓国 国政介入事件の深層
  • トランプ大統領の衝撃 米国と世界はどこに向かう
  • 国防最前線・南西諸島はいま 第2部 自衛隊配備へ動く石垣島
  • 国防最前線・南西諸島はいま 第1部 与那国島・陸自駐屯地
  • トランプvsヒラリー 米大統領選まで1カ月
  • 2016/12/05
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  • 戦後70年 識者は語る
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  • 2015/1/07
  • 2014/1/06
  • 台湾に吹いた蔡英文旋風
  • ルポ・政権交代の攻防 台湾総統選
  • 二極化する香港 識者インタビュー
  • 香港誌「前哨」編集長 劉達文氏に聞く
  • 「雨傘革命」下の香港 揺れる一国二制度の行方
  • 揺れる香港 各派リーダーに聞く
  • 香港の普選運動 親中派民間団体代表の見方
  • 2016/1/18
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  • ドゥテルテ大統領就任から3カ月 どこへ向かう比政権
  • 香港「自治」の行方 識者に聞く
  • 中華圏に浸透する同性婚
  • 中台関係の行方
  • 日米同盟と台湾 海洋安全保障の展望
  • 蔡英文時代の台湾 本土派路線のビジョンと課題
  • ASEANの夜明け アジアハイウエー7000キロルポ
  • 緊張 南シナ海
  • 中央アジア胎動 中国「新シルクロード」と日本の戦略
  • “政熱経熱”の中韓
  • 新QDRと米中軍事バランス
  • 新グレートゲーム・幻想だった中国の平和的台頭
  • 新グレートゲーム・中国南進の海
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  • 多難な年明けのトルコ
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  • 2015/12/11
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  • 蓮舫民進 疑問の船出
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  • 「立憲主義」について
  • 再改造内閣 始動
  • 安倍政権 新たな挑戦
  • 16参院選 注目区を行く
  • 伊勢志摩サミット
  • 憲法改正 ここが焦点
  • 筆坂元日本共産党ナンバー3と田村自民党政務調査会審議役が対談
  • 第3次安倍改造内閣スタート
  • 詳解 集団的自衛権 安保法制案の合憲性
  • 衆院選 自公圧勝 ~課題と展望~
  • ’14衆院選 注目区を行く
  • 第2次安倍改造内閣スタート
  • 日米首脳会談 成果と課題
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  • 激震・翁長県政 「オール沖縄」の凋落
  • 普天間基地移設 経緯の検証と提言
  • 「援護法」に隠された沖縄戦の真実
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  • 2013/7/08
  • どう見る金正恩体制 日韓専門家対談
  • 迎撃ミサイル配備 韓国の決断
  • 3代世襲“完成” 北朝鮮第7回党大会
  • 検証 元料理人 藤本氏の再訪朝
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  • 日韓国交正常化50年 識者に聞く
  • どうする拉致解決 日朝ストックホルム合意1年
  • 日韓国交正常化50年 「嫌韓」「反日」を越えて
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  • 待ったなし地球温暖化対策
  • 環境先進国フランスの挑戦
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  • 2015/9/21
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  • トランプVSヒラリー 米大統領選まで3カ月
  • オバマ外交と次期米大統領の課題
  • 2016年米大統領選まで1年
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  • オバマの対宗教戦争・第2部
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    江崎 孝
    江崎 孝
    人気政治ブログ「狼魔人日記」主宰
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    フリーライター
    松谷 秀夫
    松谷 秀夫
    普天間日米友好協会会長
    仲村 覚
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    沖縄対策本部代表
    仲里 嘉彦
    仲里 嘉彦
    万国津梁機構理事長
    西田 健次郎
    西田 健次郎
    OKINAWA政治大学校
    豊田 剛
    豊田 剛
    那覇支局長
    宮城 能彦
    宮城 能彦
    沖縄大学教授

    祖国のため戦った沖縄県民

    前沖縄県文化協会会長 星 雅彦

    献身的思いも忘れるな

    マ元帥は「自衛戦争」と証言

    hoshi
     沖縄県では先の大戦末期の沖縄戦の終結した日として、犠牲となった約20万人の戦没者の冥福と世界平和を願う日として、6月23日を「慰霊の日」と定め、先月も安倍晋三首相はじめ政府要人や仲井真弘多知事らが参列して、糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が行われた。毎年、先の大戦、沖縄戦とは何であったか問い質す日でもある。

     1941年12月8日未明、日本海軍機動部隊は太平洋を東方へ進みハワイの真珠湾に集結した米艦隊めがけて奇襲攻撃をかけた。その時から3年8カ月に及ぶ長期の日米戦争の火ぶたが切られた。開戦前の日本は、米国と苦渋の交渉を続けていた。日本側は二つの妥協案を捻出した(甲案、乙案)。この中に、経済封鎖を解除してもらえば、友好国としての役目を務めたいという希望的な創案を日本が持っていたと認められる。

     しかし、これを米国は微塵も受け入れず、非情な最後通牒を突きつけた。ハル国務長官による、いわゆる「ハル・ノート」だ。「日本は、明治維新前の状態に戻るべきで、隣国の文化や物資などを欲しがらずに、全ての権益は放棄すべきだ」と要求したのだ。

     日本にとって先の大戦は大東亜戦争であって、「太平洋戦争」とは戦後途中から、米国によって名づけられたものである。アジアの植民地をめぐる列強との戦争への道、その準備態勢が感じとれるなかで、窮地に追い込まれていた日本は先手を打った。戦況は当初、日本軍は善戦した。そして、怒涛の勢いで進軍してくる日本軍に圧倒されて、フィリピンで追い詰められたマッカーサー米軍司令官はマニラを放棄して、バターン半島とコレヒドール島に籠城する作戦に出た。しかし、間もなくマッカーサーはコレヒドール島からも「必ずや私は戻って来るだろう」(I shall return.)と言い残して脱出した。その後、米軍は戦況を逆転させ、マッカーサーは予言した通りに戻ってきた。

     1945年4月1日、米軍は沖縄本島西海岸に上陸した。その後2カ月半にわたって、日本軍と沖縄県民は「軍民一体」となって「皇国日本」の防衛のために死力を尽くして戦った。しかし、このことはあまり話題になっていないが、その様子は、太田実海軍司令官が本土に宛てた「沖縄県民かく戦えり」の電文に込められている。沖縄戦は米国が予想していたよりも日本軍・県民が一体となって善戦したが、集団自決(玉砕)が慶良間諸島の他に数カ所でも起きていた。それは隊長命令の有無だけで解決できる問題ではないだろう。総体的に沖縄戦の犠牲者数をあげると、日本軍が約8万5000人、沖縄県民が約10万人、米軍が約1万3000人。この概数の多寡も問題になるが、軍民が一体どころか、入り乱れて、融合と反発の狭間に、お国のために死ぬんだという思いがあった。無念どころか、献身的な自己犠牲の思いがあったことも忘れてなるまい。

     沖縄戦がほぼ終焉(離島等は残っていた)に向かっているとき、米国は広島(8月6日)・長崎(8月9日)に原爆を投下した。日本はポツダム宣言受諾の決断に迫られた。昭和天皇はポツダム宣言受諾を決断され、8月10日の御前会議でいわゆる「終戦の聖断」を披瀝された。8月14日の御前会議では、同宣言の無条件受諾を決意し、敗戦の詔書を提示し、同日、詔書を自ら音読して録音し、8月15日にラジオ放送により国民に終戦を伝えたのだった(玉音放送)。

     筆者は、熊本県八代中学1年生の時、妙見寺の境内で聞き取りにくいユニークな音声の玉音放送を神妙に聞いていたことを思い出す。その時、先生方は嗚咽をもらしていた。その後、日本は戦争終結のための調印式を9月2日に予定し、東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で全権・重光葵が連合国代表を相手に行事を済ませたのである。

     1946年から48年にかけて行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)は、戦勝国が敗戦国である日本の指導者を裁く形式で、罪刑法定主義・法の不遡及が保障されていない裁判だった。裁判は東條英機ら7人を死刑、16人を終身刑にするなどの判決を下した。

     しかし、判事の一人インドのパール判事は判決文の中で、この裁判について「復讐の欲望を満たすために、単に法律的な手続きを踏んだに過ぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い」と断罪した。そして「裁判の本質は連合国側の政治目的を達成するために設置されたに過ぎず、日本の敗戦を被告たちの侵略行為によるものと裁くことによって、日本大衆を心理的に支配しようとしている」と批判、「かつて欧米諸国がアジア諸国に対して行った(植民地政策の)行為こそ、まさに侵略行為である」と、全被告の無罪を主張したのである。

     その後、来日したパール判事は、日本の現状を見て「東京裁判史観というゆがめられた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい」と苦言を呈した。パール判事の言葉は、現在の日本にとっても示唆に富むものである。

     最後に、日本軍と戦ったマッカーサーが1953年の朝鮮戦争後に帰国した際、米上院の軍事外交合同委員会で、「日本の戦争は自衛のためのものだった」と証言していることも記憶にとどめておく必要があろう。

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