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  • 堂本かおる
    堂本かおる
    ニューヨーク在住フリーランスライター
    菊田 均
    菊田 均
    文芸評論家
    松本 健一
    松本 健一
    評論家
    中岡 弘
    中岡 弘
    著述家
    大島 直行
    大島 直行
    伊達市噴火湾文化研究所長
    時広 真吾
    時広 真吾
    舞台演出家
    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    日本的武道にあるもの

    日本は古代から現代にいたるまで、ずっと天皇を中心とした治政の国家です。ですから、鎌倉幕府も足利幕府も織豊時代も徳川時代も、それらはいわゆる政権交替であって、日本の国のカタチは変わっていません。

    そうはいっても、たとえば江戸時代は、諸藩のことを「国」とよんでいました。国という字は、日本国という意味と、上野国、下総国というように、諸藩やそれぞれの地域という意味の、両方に使われていましたが、これは「国」という字が、ある程度の独立した行政単位を示す意味で用いられていたからです。

    武家政権となってから以降は、各「家」が、これを統治していました。その「家」の最大のものが徳川家で、日本列島のだいたい3分の1くらいを領土として所有し、圧倒的軍事力と経済力、そして政治的影響力を行使していました。これが江戸幕藩体制です。

    徳川家の幕藩体制構築にあたっての最大の理念は、兎にも角にもこの国から「いくさ」をなくすことでした。ですからそのために、全国の諸大名の配置も変えたし、大名には江戸に人質を置くことを強制したし、参勤交代を義務づけて諸大名の財力と抵抗力を削ぐということも行いました。

    ちなみに「参勤交代」は、秀吉の朝鮮征伐の際に、全国の大名がいくさ仕度で九州にまで狩り出されたことを変形させたものです。家康は、なによりも「いくさ」のない世の中を希求し、そしてそれを完全に実現したわけです。こうして徳川の政治体制によって、日本の民衆は、いくさのない、江戸270年の太平の世をすごすことができました。

    それにしても、徳川家の平和への願いは徹底していました。

    有名な「生類憐れみの令」も、そのひとつです。「生類憐れみの令」については、戦後、どういうわけか、「お犬様を人の命よりも大事にした5代将軍綱吉の稀代の悪政」であるかのようにさかんに宣伝されました。学会でもそのように言われることが多かったようですし、学校でも、「だから綱吉は犬公方と呼ばれた」などと教えられたりもしていました。

    ところがその「生類憐れみの令」は、幕末まで、何度となく幕府からお触れが出ています。つまり、綱吉将軍は、単にそれを「はじめた将軍」というだけで、令そのものは、幕末まで歴代将軍によって引き継がれたり、再徹底のためにと、繰り返しお触れされているのです。

    では何故、幕府が「生類憐れみの令」を繰り返し出したのかというと、犬の命よりも人の命はもっと大事なわけです。ですから犬を殺してはいけないということは、人はもっと殺してはいけない。そのことを全国に徹底するために、発布したのです。

    それにそもそも、「生類憐れみの令」は、見て分かる通り「生類」、つまり生きとし生けるものすべてについて、その命を大切にせよ、いたずらに人や動物の命を奪ってはならないというお触れです。あたりまえといえば、あたりまのことかもしれませんが、江戸時代にあっては、武士は常に腰に二本の刀を刺していましたし、町人だって、長脇差といって、ほとんど大刀と変わらない長さの刀を腰に差していたし、中には剣術の稽古をし、練達した町人やお百姓さんも多数いたのです。

    しかし、練達の士は別として、一般人が腰に刀を刺していれば、ついカッとなって、人を斬ってしまうことはあるわけです。ましてお酒でもはいろうものなら、ちょっとした口論から、ついつい刀を抜いてしまう。けれど、様々な事情があったとしても、斬れば、相手も自分も、そして双方の家族も傷つくのです。さらに、これが◯◯家の名誉にかかる問題、あるいは宗門の対立のようなものに発展すれば、再び「いくさ」がやってくることになります。

    ところが武士は、腰に二本の刀を刺しているから武士なのです。刀そのものを禁じる訳にはいかない。そこで出されたのが、「生類憐れみの令」であったわけです。つまり「生類憐れみの令」は、「稀代の悪法」どころか、命をどこまでも大切にし、二度と国内で戦を起こさないための、「稀代の善法」だったのです。

    これが事実です。ところが戦後の学界は、悪法という解釈でした。学界がそのような解釈なら、テレビもメディアも小説も、みんなそれに右へ倣えです。

    こうした情況に、20年ほど前から「新しい歴史教科書をつくる会」などが中心となって、既存の説を見直せという運動が起こり、また7年ほど前からは当ブログにおいても、「生類憐れみの令」は、命を大切にしようとする幕府の政策だったということを、年に何度か書かせていただいたりしました。

    その結果かどうかはわかりませんが、先日テレビに東大の日本の歴史学の教授という方が出演して、
    「最近の学界では生類憐れみの令は、命を大切にしようとする良いお触れであった」
    と述べておいでになりました。歴史学会の認識が変わったのです。これは本当に良いことだと思いました。

    ところがその学者、同じ番組で、
    「鎌倉幕府の成立は、1192年の頼朝の将軍任命からではなく、1185年の壇ノ浦の戦いで、事実上の政権交代が起こったのだから、鎌倉時代は1185年に始まったのだ」と述べておいでになりました。
    「わかってないなあ」
    と残念に思いました。

    頼朝は、自称・将軍ではないのです。天皇から将軍の親任を受けて、はじめて全国の武士たちに号令できる立場となったのです。会社で、いくらそのポストにふさわしい実力があったとしても、人事から正式な辞令がなければ、肩書はないことを考えれば、これは誰にでも理解できることです。

    また、徳川幕府は、全国の武士たちがヒゲをはやすことまで禁じています。男がヒゲを生やすのは武威を張り、徳川の天下に危害を及ぼす目的を持ったものだ、というのです。ですから江戸時代の武士たちは、ヒゲを伸ばさなかったし、幕末の志士たちも当時の写真をみれば、誰もヒゲを伸ばしていません。

    明治になってから、将校や元勲と呼ばれる人たちが、付け髭まで付けて髭を生やしたのは、欧米列強と対等な関係を築きたいという強い願いからです。明治日本の最大の願いは、不平等条約を排し、欧米列強と対等な関係を築くことにありました。そのために、髭だけでなく、帝国ホテルの横に鹿鳴館を開設して、洋服を来て舞踏会を催したり、欧米に合わせて冠婚葬祭時の礼服は、それまでは白があたりまえだったものを、わざわざ布告を出して、黒い服に変更したりもしています。

    これは加瀬英明先生が、いつもおっしゃることですが、いまでも宮中での外国からの賓客のためのおもてなし料理は、日本料理でなく、フランス料理です。明治時代には、日本料理は「遅れた未開人の料理」とされたので、当時の最高の西洋料理であったフランス料理を、日本における賓客のおもてなし料理としたのです。日本は、まさに涙ぐましい努力を、してきたのです。

    そうして、日清、日露を戦い、第一次世界大戦を制し、支那事変、大東亜戦争を戦い、日本は世界から「植民地」を一掃してしまいました。このことは、もし日本の明治以降の働きがなければ、おそらく21世紀となった今日においても尚、世界の有色人種は、民族の独立など認められず、相変わらず植民地支配のもとで、隷属を余儀なくされていたであろういうことを考えれば、どれだけ偉大なことだったのかわかります。

    ちなみに、植民地統治の時代、ブラック、イエローを含め、いわゆる有色人種というのは「痛みを感じない生き物」と信じられていました。ですから、ムチで叩かれて痛がっていても、それは単なる演技であって、実は、痛みを感じる神経そのものがないと、そのように考えられていたのです。もしいまの日本が、どこかの国の植民地になるのだとしたら。その痛みに、耐えられる人は、いったいどれだけいるのでしょうか。

    日清日露をはじめ、支那事変、大東亜戦争の、どの戦いにおいても、日本人の戦いは、常に10倍、20倍、甚だしきは100倍の敵を相手にするものでした。そして、それら戦争の中の、個々の戦いを見ると、おそらくそれがギリシャやローマ、あるいはヨーロッパの近代の戦いだとすれば、歴史に残り、語り継がれるほどの、勇敢な戦いでした。けれどそれは、ひとつひとつが、ものすごく過酷な戦いであったことを示しています。

    兜(かぶと)も焦がす炎熱の中で、 敵の屍とともに寝る。
    真水がないから、泥水をすすり、食べ物がないから野草を噛む。
    荒れた山河を幾千里も行軍する。
    あるいは骨まで凍る酷寒の中で、 背も届かないような深い汚水の中に2日も3日もずっと浸かって敵情を視察する。
    その酷寒の中で、糧食が尽きて10日も何も食べずにいて、それでも戦う。
    そして、多くの若い命が、青空の中に、海に、土に消えていきました。

    行軍の際、傷ついた戦友をおぶって、何日もあるき続けたりもしています。そしてそれだけ過酷な状況下で戦いながら、日本の兵隊さんたちは、現地で、いわゆる略奪や、強姦や、収奪を一切していないのです。

    こんな軍隊って、世界の歴史に他にあったでしょうか。

    このあたりのことも、日本兵は残虐だったとか、中共政府や朝鮮政府の宣伝工作と、それによいしょした日本国内の、とんでも学者によって、180度捻じ曲げて伝えられています。けれど、そうした捻じ曲げた話が果たして事実なのかどうか、自分の親を見て考えてほしいと思うのです。あなたの親は、祖父は、そういう悪人だったのですか?と。血は争えぬといいます。
    では、あなにも、そんな残虐な血が流れているのですか?と。

    答はNOです。まれに若い人で、「わかりません。自分ならするかもしれません」などと言い出す子もいます。けれど、そういう若い人は、捕虜の目玉が栄養になる珍味だからと生きたまま目玉をくり抜いて、そのまま生で食べますか?と聞けば、答はNOです。つまり、残虐や残酷の意味を、まるでわかっていないだけです。日本人にはできることではないです。

    いまも昔も・・・昔というのは、明治以降のことだけではなく、奈良平安の昔や、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代から、神話の時代まで含みます・・・日本人の願いは、ただひとつなのです。それは、誰もが豊かに平和に安全に安心して暮らしていけること。そして、武というものは、そのためにこそ存在する、というのが、日本人の思考です。

    強ければ何をやっても許されるなどという思想は、どっか他所の国の常識にすぎません。戦後、どっかの国の人が、日本の武道を真似て、ただいたずらに自分が強いということをアピールしたりしました。おもしろいもので、強くなりたいからとその流派を学んでも、純粋な日本人は、強くなればなるほど、見た目がにこやかで、やさしそうになります。ところが、どっかの国の人は、一定のレベルにまで練達すると、必ず、まるで見た目がヤクザか暴力団のようになります。おそらく、DNAの違いなのだろうと思います。

    先日、小野派一刀流の師範の演舞を、生で見る機会がありました。片方が八段、片方が七段です。互いに真剣を持ち、同時に上段から相手の面を狙って刀を振り下ろします。刀はもちろん刃引きはしてありますが、真剣です。あたれば、双方とも脳天を真っ二つに割られて即死です。

    刀身は薄いですから、「相打ち!」と思った瞬間です。相手の刀が、なぜか師範の左腕から、毛筋一本分、外側に流れてしまうのです。そして師範の方は、相手の面ではなく、面にあたる直前に刀身を引き、相手の喉元に刀を突きつけました。もちろん、寸止めです。演舞なのに、背筋が凍りつきました。まさに、烈帛の気合でした。

    この演舞は、何度か繰り返して行われました。何度やっても、結果は同じです。まるで手品みたいでした。

    全身全霊を込めて上段から面打ちに振り下ろした刀が、なぜか右に毛筋一本、逸れてしまうのです。終わった後から、
    「どうしてあのようになるのですか?」
    とお聞きしました。すると、
    「刀は歯から身にかけて、微妙に鋭角をなしています。
     その鋭角を利用して、相手の振り下ろした刀を、
     体側に滑らせるのです」
    まさに神業です。

    これが小野派一刀流というものなのか、と、衝撃を受けました。武芸の練達者にかかると、あらゆるものが武器になるといいますが、その武器をまた、限界まで活かし抜く技術を、生涯かけて磨き続けるわけです。昔の日本人が強かったわけだと思いました。

    そして、その二人の師範が、どちらも、一見すると、とてもおだやかで、おやさしい方に見えるのです。ところが、ひとたび真剣を持って壇上に立つと、その烈帛の気合が、広い会場内を、まるで水を打ったように、シーンとさせてしまうのです。私などは、震えそうになりました。

    武道物の映画というのは、一時期たいへんな人気があって、世界中で撮影されました。その多くのストーリーは、不条理な暴力を日常的に揮う悪役がいて、それを倒すというものです。ところが日本の古い映画では、欲にまみれて私利私欲を図る者を、練達の士が懲らしめるという筋書きのものであることが普通でした。最近でも、やむを得ない事情で人を斬った者が、やはりやむを得ない事情で斬りに行くという筋書きとなっているものが(すくなくとも日本人が監督する映画では)主流です。

    武は、どこまでも正しい心を養い、正義を実現するためのもの、というのが日本人の考え方です。その正義とは、誰もが豊かに安心して安全に暮らせる平和な社会を維持し守ることにあるというのが、日本人の普遍的な考え方です。ですから日本人の誰もが豊かに安心して安全に暮らせる平和な社会を希求するなら、武を正しく復活させていかなければならないのではないかと思います。

    近年では、日本武道が世界に広がり、東亜地域の協会の会長さんが反日国の反日意識の塊であったりしています。するとどうなるかというと、武道が、ただ「試合に勝てば良い」という、まるで異なるものになってしまいます。挙げ句の果てが、日本武道が、どこぞの国起源説などが、平気で世界で宣伝されたりする。

    思うに、試合はあくまで試合でしかありません。戦時中に実際に経験している通り、実際には、1:1どころが、いどちに10倍、20倍、ときに100倍もの相手と、死ぬとわかって戦わなければならないときもあります。もちろん、その場では、殺されてしまうことでしょう。けれど、殺されながらも、その精神をしっかりと遺す。そして、最後に正義が必ず復活するようにして、命を捨てる。あるいは、そのために命をかける。

    「◯◯道」と言いながら、その実、試合に勝つことだけが目的になっているのなら、それはスポーツ競技でしかないのかもしれません。

    お読みいただき、ありがとうございました。


    「ねずさんのひとりごと」より転載
    http://nezu621.blog7.fc2.com/

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