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    菊田 均
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    大島 直行
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    時広 真吾
    時広 真吾
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    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    人はなぜ弁解をするのか

    ~弁解の後孫①~

     私たちの生活を支配する最も大きな力は「習慣性」という力ではないかと、かねてから考えています。日常生活のかなりの部分は習慣的なルーティンで成り立っていると言ってもいいでしょう。習慣性の特長は、いちいち考えなくても体が動くこと。ところがそのことのゆえに、うっかりするとその習慣性に縛られるのです。毎朝の歯磨きや午後の紅茶などなら特に問題にはなりませんが、私がこれから考えてみたいのは「思考の習慣性」です。
     衣食住の習慣は国によって地域によって違うのに、不思議なことに、「思考の習慣性」はどこに生まれ育った人にも共通したものがあります。そのもっとも深いものの一つが「弁解(あるいは弁明)の習慣性」ではないかと思うのです。

     弁解とは、どういうことでしょうか。「あなたは正しくない」と指摘されたときに、「私は少なくとも全面的には間違っていない。正しくないとあなたは言うが、私がそうしたのにはこれこれの理由がある」と反論し、自らの立場を擁護することです。

     このような弁解はこの世に溢れていることが分かりますし、私自身の中にもあることに気づきます。本当に習慣性そのものと言えるほどに、頭で考える前に弁解は出てくるのです。
     弁解は仕方ないものか、よくないものか。これから、その内容、由来、問題点、そしてその克服について、数回にわたって考えてみようと思います。

     まず手始めに、私が驚いた「弁解しない人」の稀有な実例をご紹介して、「弁解しないことの難しさ」について考えてみましょう。

    白隠慧鶴像(Wikipediaより)

     弁解しない人は、白隠(慧鶴)禅師(1686年~1769年)。日本における臨済宗の中興の祖と言われる名僧です。当時、彼の名声は日本全国に鳴り響いていました。ところがあるとき、彼の住む村の娘が妊娠したのです。未婚の娘の腹が大きくなったのを見咎めた親は、「腹の子の父は誰か」と厳しく問い詰めました。娘は容易に口を開こうとしなかったが、親のあまりの執拗な追及に耐え切れず、ついに観念して、「この村の和尚さんと……」と告白しました。
     まったく思いがけない告白に驚いた親は、白隠禅師の寺に飛んで行きます。「私の娘をどうする気か。お前が親なら、生まれてくる子はお前が面倒を見ろ」
     そのとき、禅師は驚きの一言を発するのです。
     「ほう、そうか」
     やがて赤ん坊が生まれると、親はその子を寺に連れてきます。禅師はその子を預かるものの、寺に乳はありません。村の中をもらい乳して回るしかない。村人は、当然眉を顰めます。
     「えらいと思っていた和尚さんも、やはり男だったか」と、陰で囁かれます。それまで近郷からも声のかかっていた説法の依頼も、ぴたりと止みました。寺の生活は窮乏を極めます。
     数年が経って、件の娘が、「実は……」と言って、親に告白しました。
     「あの子の父は、和尚さんではありません」
     実の父は、村の何とかいう若者だというのです。禅師の姿を見るに堪えなかったのでしょう。

     「これは大変な誤解をした」と驚いた親は、また寺に飛んでいきます。「申し訳ないことでございました。娘が嘘をついているとは思いもせず、このようなことを……」と親が身の置き所もない態で詫びると、このときもまた禅師が発したのは一言、
     「ほう、そうか」
     そう言ったなり、数年間、もらい乳をして育てた赤ん坊を、何も言わずに親に返しました。
     私が驚いたのは、禅師が発した 2回の「ほう、そうか」です。ここには一片の弁解もない。身に覚えのないことも「ほう、そうか」と言って受け入れ、子供を返してくれと言われれば、これもまた「ほう、そうか」と言って手放す。
     どう見ても禅師には非がないのですから、自己の潔白をきっぱり主張してもよさそうに思えます。主張したとしても、それは弁解とは言えないでしょう。にも拘らず、禅師は何も言わない。嘘をついた娘も、それを軽々に真に受けた親をも、一言も責めない。娘があのまま真実を告白しなかったら、どうするつもりだったのか。名僧の胸の内は、実に計りかねます。

     とにかく、拘りがない。いかにも仏教的と言えるかも知れません。
     「自分はこれほどの者である」
     という意識が微塵でもあれば、「ほう、そうか」はとても出ないでしょう。普通であれば、自分に非があっても、「その通りでございます」とはなかなか言えないものです。何でもいいから「弁解」の道を探します。「習慣性」というより、ほとんど「本能」に近いようにも思えます。

     このような「弁解」の習慣性は、どこに根源を持っているのでしょうか。その源はとても深く、聖書にそのヒントがあると、私は見ています。

     失楽園の物語――。人類の始祖アダムとエバが神の戒めを破って「善悪の実」を取って食べたために、神によってエデンの園を追われ、それ以来、人類の苦痛が始まった(「創世記第3章)。聖書を読んだことがない人でも、どこかで聞いたことのある有名な物語が、聖書の冒頭に出てきます。
     この物語に、人類最初の「弁解」が出てくるのです。神の警告にもかかわらず、狡猾なヘビに騙されて、まずエバが木の実を取って食べます。そして彼女が隣にいたアダムにも勧め、彼も取って食べるのです。すると、2人ともに自らの裸が恥ずかしくなって、神が園を訪ねてこられたとき、木の陰に隠れる。
     神が最初に尋ねたのは、一番最後に木の実を食べたアダムです。「お前は、食べれば死ぬと言っておいた木の実をなぜ取って食べたのか?」
     すると、彼は、「私はあなたが造ってくれた女に騙されて食べました」と答えたのです。これが弁解でしょう。
     それで神は次に女に尋ねると、「私はヘビに騙されました」と彼女は答えます。これもまた明らかな弁解です。2人ともに弁解をして責任を逃れようとしたので、神の詰問はヘビに向かうしかありません。しかし、破戒の動機を作ったヘビには弁解の余地さえなかったのでしょうか。ヘビは天から地に投げ落とされ、アダムとエバもエデンの園を追われます。

     神の詰問の順番を見ると、最も弁解をしてほしくない順に尋ねているように思えます。神はアダムを信頼したかったのです。「弁解の人」になってほしくなかったのです。もしもアダムが弁解をしなかったなら、どうだったのでしょうか。
     「女が私に木の実を勧めたのは確かですが、取って食べた責任は私にあります」と言ったとすれば、事態はまったく違う展開を見せたかも知れません。ところが人類の始祖が2人とも弁解をして責任を負おうとしなかったので、彼らから生まれた我々人類は「弁解の後孫」となったのです。
     この物語を象徴や比喩として見るか、何らかの事実を含むものとして見るかは、人によって見解が異なるでしょう。いずれにせよ、破戒の直後に現れた2つの変化、つまり、裸が恥ずかしくなって下部を隠したということと、自らの行動に弁解をするようになったということには、見過ごすことのできない深刻な問題を私は感じるのです。
     これは決して人ごとではないのです。我々がほとんど無自覚に弁解をしてしまう心理とその問題点について、もう少し掘り下げて考えてみることにします。
    (つづく)

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